あめゆきをとって

仮題と下書き

2020-01-01から1年間の記事一覧

宮古の中華そばと、ワンタンのこと

#電光掲示板短歌 の #おしな歌き に投稿した。 #おしな歌き pic.twitter.com/azHbocyIol— あきやま (@kiyama_Co) 2020年12月17日 あきやま on Twitter: "#おしな歌き… " 即詠は苦手なのに、昭和の食堂のお品書きを見てイメージが膨らみ、すぐに詠めた。だか…

クリスマスが来るたび思い出す、あの日のこと

娘が小学1年の時だろうか。2年生か、とにかく7歳頃であった。 娘が学校から大泣きして帰って来た。そして、酷く怒っていた。 「ママのバカ!ママの嘘つき!ママなんか大嫌い!」 ほう、ママが大嫌いとは上等じゃないか。 しかし、この日の娘の怒りは尋常では…

魔女が来た!

今年の1月に倒れ、長い入院生活をした。 見舞いに来た姉が、マスクをしていた。 「風邪?」 「何言ってるの、コロナよコロナ!流行ってるの。あんたのも持って来たからね。病室を出る時には必ずマスクするんだよ」 コロナ… コロナって?と話を続けるには身体…

#電光掲示短歌

Twitterを眺めていたら、ハッシュタグ電光掲示短歌として流れてきた素敵な画像にひかれた。 駅の歌ならいくつか持っている。新聞に掲載されたものもある。 私の歌も画像にしてもらおうと、すぐにリプライした。 この歌は毎日歌壇 加藤治郎選の没歌だが、私に…

お昼休みが嫌いだった

給食の時間が大嫌いだった。 少食、偏食、食べるのが遅い、三拍子揃った私に給食は、苦行の時間でしかなかった。 同級生たちは給食が大好きで、皆もりもりと美味しそうに食べた。人気のおかずをおかわりするために、競って食べていた。私はそれをバカみたい…

最悪な日〜万引きを疑われて

「何しろ生きるか死ぬかの大手術をしたのだから、それは仕方がない」 転院先の都内の大学病院で、新たな主治医は私にこう言った。 自分の記憶がおかしいと訴えた、その返答だった。 岩手の病院に入院していた時は、今日と明日を生きるのに精一杯で、忘れた過…

ブランコ

私はほとんど虚構を詠まない。 だから、私の歌の登場人物は実在する。 小学3年生の時、マナミちゃんという子と同じクラスになった。 マナミちゃんの家は転勤族だった。 何年生から同じ学校にいたのかわからない。何しろ当時は子供がうじゃうじゃと、千人もい…

遠い日、津波、ショートケーキ

昔、好きだったおやつを思い出してみる。 母は商売で忙しく、よそのお宅のような手作りおやつなどは、望むべくもなかった。 私達きょうだいは、10円玉を握りしめて駄菓子屋に走った。 駄菓子を買うのは楽しい。懐かしくて美味しい思い出のひとつだ。 しかし…

父が私にくれたもの

私の父は、父性とか私への愛情というものが果たしてあったのかどうか、疑うほどの人であった。 子供が喜ぶような場所に連れて行ったり、甘やかして何かを買い与えたりという事が極端に少なかったから、数少ないそれらを私は、全て覚えている。 母が弟の出産…

夜爪

子供の頃、夜に爪を切ると母に強く窘められた。「夜爪は親の死に目に会えない」と言うのだ。親の死に目に会えないのは親不孝だ。臨終の場面には居たい。子供心にそう思っていた。 しかし、爪を切りたくなるのは大抵夜だ。お風呂から出て眠るまでの間、ふと、…

父も死んだ

1月に母が死んで、その葬儀の場で私も倒れ入院、心臓血管の大手術をした。 退院して5ヶ月近く経った今も、当時の記憶は曖昧で、時の感覚が狂ってしまった。 私はあの悪い夢のような入院生活から、まだひと月位しか経っていないような気がする。 知っているよ…

母と、百合のこと

手術の後遺症で、いろんな事を忘れてしまった。大事な事も、どうでもいい事も忘れた。何を忘れたかもわからない有り様で、まあでもそれは仕方ない。あの、死にかけた日にきっと、三途の川に記憶を捨てたのだ。思い出など、生きている間の自分にしか価値のな…

泣いた祝言の日のこと

あれは、私と姉がまだ小学生の時だった。 近所のよろずやさんの長男が結婚する事になり、そこのお母さんとうちの母が親しかった縁で、姉に雄蝶雌蝶(オチョウメチョウ)の大役が回ってきた。 雄蝶雌蝶というのは、新郎新婦に三三九度の酌をする子供の事で、祝…

おにぎり

私は母を崇拝してきたが、実際のところ、母は主婦として欠点の多い人であった。 料理、洗濯、掃除等、家事のセンスがまるでなかった。 母は、働かない父の代わりに、朝まだ暗いうちから商売をした。だから、家事が疎かになるのは仕方ないと思う。料理と掃除…

泥棒と、母のこと

あれは、私がまだ10歳にも満たない、小学生の頃。 当時住んでいた家は、木造の小さな店舗兼住宅で、肉屋を営んでいた。 しかし肉があまり売れないので、母は売れ残りの肉を刻み、玉葱と肉を串に刺し、パン粉をつけて串カツにした。父の生家の畑で採れたじゃ…

生きてゆく術は、あの場末のスナックで教わった

東北の高校を卒業してから現在に至るまで、思えば様々な仕事をしてきた。 とは言え学歴も資格も何もない私は、立派な仕事になど到底就けない。 最初の就職先は都内の、社員寮付き洋品店だった。 就活用パンフの白黒写真を見て、少し小さめなデパートと勘違い…

信仰と宗教のこと

母の四十九日だった。 もう四十九日も経ったのか。私はずっと病室にいたので、法要の準備の手伝いもせず、病院まで迎えに来た弟の車に乗って参列した。 姉と、義兄と、私と弟だけの小さな法要。 寺は姉と弟で決めた、小さな寺だった。 お坊さんがお経をあげ…

海猫と遊覧船のこと

私がまだ子供の頃に初めて乗った、みやこ浄土ヶ浜遊覧船。 あの思い出を子供達にも体験させてあげようと、娘と二人の姪を連れて遊覧船に乗り込んだのは、もう20年以上も昔の事。子供達が全員小学生の夏休みだった。 昔々の幼い私はこの船に、いったい誰と乗…

臨死体験のこと

こんばんは。入院中で暇なタンポポです。 現在の私は、母の葬儀の真っ最中に大動脈解離を起こし、緊急手術の後に転院。故郷岩手の大自然に癒されながら、様々なリハビリを受けている真っ最中です。 しかし思いがけず長引く入院に、最初は「生きててよかった…

死にかけて、死ななかった日のこと

それはまだ、小学校にあがる前の年の事。 私と、同い年で仲良しのユキちゃんと、少し年上の近所の男の子達数人で、高校のプールに忍び込んだ。 私の家の近くには、八幡神社と中学校と高校があり、校舎に入らなければ全てが遊び場だった。真夏ではない、春か…

母が死んだ(らしい)

母が、死んだ。 私も死にかけて、いま病院のベッドにいる。点滴の管が繋がっている。意識が戻り、カレンダーを見て、どうやら母は死に、葬式も全て済んだ後なのを察するだけで、まだそれを確かめていない。けれども私が今現在こうなっているのは、母の死が引…

公衆電話

私は実家の居間にいて、母からの電話を受けていた。母は携帯を持っていないので、公衆電話からだった。手短に終わらせなければならない。父が近くで無関心を装いながら、耳を攲てる。 汽車の時間は12時だと知っている。決行は明日。母が今どこにいるのかわか…