あめゆきをとって

仮題と下書き

父も死んだ

1月に母が死んで、その葬儀の場で私も倒れ入院、心臓血管の大手術をした。

退院して5ヶ月近く経った今も、当時の記憶は曖昧で、時の感覚が狂ってしまった。

私はあの悪い夢のような入院生活から、まだひと月位しか経っていないような気がする。

知っているようで、実は知らない世界を朦朧と生きている。

そう、ついこの間桜が咲いて散ったばかりで、まだ初夏にもなっていない、そんな錯覚がまとわりつく。

それなのに現実はもう真夏で、百日紅が赤々と咲き、来週にはお盆が来る。

きっと、脳がダメージを受けたのだと思う。仕方ないので、スマホの写真をスクロールしながら、記憶を1月前まで遡る。

全てが正確でないかもしれないが、今思い出せるものをここに記しておく。

平穏だったのは、今年の正月三が日までだった。

1月4日。

高齢の母が転倒し、救急搬送されたという報せを受けても、私は母の回復を信じて疑わなかった。

自宅の廊下で滑って骨折し、起き上がれないままそこで一晩を過ごし、低体温になった母を発見したのは弟。

弟から姉へ、そして姉から私に連絡があった時、私は映画館で「この世界のさらにいくつもの片隅に」を観ていたから、スマホをオフにしていた。

着信履歴を見て、嫌な予感と胸騒ぎがした。映画の余韻にひたる暇もなく、姉に電話をかけた。

母は宮古の病院に入院した。

姉と弟が頻繁に病院へ通い、母の様子を知らせてくれる。

母は少しづつ回復し、会話も出来るようになった。

家にひとりで居るよりも、病院にいる方が安心だ、このまましばらくのんびりと過ごして栄養をつけて、暖かくなってから退院すれば良いと、私はすっかり油断していた。

 

21日には上野の国立西洋美術館に出かけ、ハプスブルグ展を観て、カフェで苺のケーキを食べた。

帰り際、ひときわ明るい一番星がぽつんとあって、あれは、お母さんの星と呟きながら写真を撮った。


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まさか、母が死ぬなんて。

介護施設にいる父よりも母が先に死ぬなんて、想像もしなかった。

 

 

日付が変わって22日の深夜、姉からの着信。固い声だった。

「ごめんね。こんな遅い時間に電話。意味、解るよね?」

「うん」

「そういう事だから、お願い。こっちに来てちょうだい。いろんな決め事は、まだだから、慌てなくてもいいから」

「解った」

こんな会話をしたのだと思う。電話を切って、私は一人でわあっと泣いた。

「間に合わなかった、間に合わなかった」

そう言いながら泣いたと思う。いったい何に間に合わなかったのか、今となってはよく解らない。

自分がまだ、何者にもなれていないという意味だろうか?

この前日に受けた毎日歌壇賞の報せを、母に伝えなかった事かも知れない。

そして、そんな私の気持ちなど、もうどうでもよく、泣いている場合ではない。スーツケースに喪服やら着替えを詰め込んだ。

23日通夜には、ふたりの姪とその子ども達も各地から到着した。

幼い子らの、斎場の椅子を並べての電車ごっこに付き合わされた私と姉が、Vサインをしてカメラロールに収まっている。

この写真は、いったい誰が撮ったのだろう?

私のインスタグラムは、1月21日に国立西洋美術館と上野の夕暮れの後、31日からは岩手医科大学病院の流動食から盛岡市立病院の普通食に変わり退院するまで、1日3回の病院食の写真が延々と続く。

 

24日葬儀。弟が介護施設から父を連れて来た。

私と姉は固唾をのんで、父の様子を見守った。

父は、棺を覗き込むと

「何だぁ、かがさまぁ。かがさまぁ、死んだぁのーが?」

そう言って母の死に顔を眺めていた。何も語りかけず、ただ、黙って遺体を凝視していた。その後、ぼろぼろと涙をこぼし、嗚咽して、ハンカチで涙と鼻水を拭った。

「泣いてる」

「あの親父が、泣いてるよ」

「ほうら、かがさまの顔をよーぐ見どがんせ」

「おめさんが長年苛めつけだかがさまだーが、とうとう死んだーが」

「なーどすんだーや、おめさんが苦労べーりかげで、おめさんが死なせだーようなもんだーが」

私達は、父の耳がよく聞こえないのをいいことに、そう毒づきながら途方もなく悲しい気持ちになった。

もうこれ以上は、父の血圧も上がって体に障るだろうと、弟が父の車椅子を棺から離した。

父は項垂れたまま、斎場を後にした。

生前、散々泣かされた父を泣かせて、母もさぞかし満足だろう。満足しただろうか?

 

私が倒れたのは、出棺の時だと思う。

納棺の時、孫達が花を母の周りに飾ってあげた。

私は母の死を受け入れたはずだった。

ああ、この後母の体は、火に焼べられてしまう。

棺に釘を打つ音を聞いて、胸が苦しくなってきた。いや、この苦しさは感傷ではない、胸から背中まで、太い杭を打ち込まれたような、激しい痛みだった。

誰もが皆、出棺の母の棺を取り囲み、私の異変には気付かない。

痛い、痛い、痛い、どうしてこんな時に?

私、死ぬんだ。誰か助けて……

 

49日の法要に、父は出席しなかった。

コロナの影響で、施設からの外出が禁止になったからだ。

だから、私が父と最後に会ったのは、母の葬儀ということになる。

まさか、あの日が父との別れになるなんて

父は、呆けながらもうんと長生きをして、もしかしたら私の方が先に逝くのではと思っていた。

母が死んで、父も死んだ。

何かひとつくらい、父とのいい思い出はないかしらと、あれこれ思い巡らすのだけれど、驚く程に何も浮かばない。

つくづく酷い父親だったと、胸糞が悪くなるばかりだ。

以前から、父が死んでも私はきっと泣かないと思っていて、姉も泣かないと言っていた。

それなのに。

姉は「涙が止まらない」と言うから驚く。

姉はいつの間に、あの父を許したのだろう。

コロナのせいで、父の葬儀にも帰れない。

葬儀に出たくないのが本心だから、コロナは好都合だ。

そう思う私の背中に、あの杭がまた打たれるかも知れない。

一粒の涙もでない。

父が死んだからではなく、自分の心が歪なことが悲しくてたまらない。

母の死さえ、未だに何かの間違いではと思うのに、父も死んだなんて。

父と母が、もうこの世にいないだなんて。

 

目に見えないコロナに怯えているこの世界の片隅で、コロナを知らないまま、あのふたりは…