私がまだ子供の頃に初めて乗った、みやこ浄土ヶ浜遊覧船。
あの思い出を子供達にも体験させてあげようと、娘と二人の姪を連れて遊覧船に乗り込んだのは、もう20年以上も昔の事。子供達が全員小学生の夏休みだった。
昔々の幼い私はこの船に、いったい誰と乗ったのだろう?
あの父であるはずがない。母は船酔いする体質だから、母でもない。
叔父か、知り合いの誰かに連れられて、あまり子供らしくなかった私は、はしゃぎもせず緊張し、それでもとても嬉しかった、思い出の遊覧船。
長い長い時を経て、再び乗った遊覧船は昔の記憶とは何だか違う立派な船で、私も娘や姪と同様に、初めての体験かと錯覚した。
けれども船内で売られているうみねこパンを手にした時、やはり私はこの柔らかな丸いパンを、うみねこ達にあげた記憶が確かにあるのだった。
うみねこパンを3つ買って、子供達にひとつづつ手渡す。
「このパン食べたい。食べてもいい?」
「いいけど、少しだけね。うみねこにあげるパンだから」
うみねこパンはふかふかで、ワカメ等の海藻の粉が混じった甘くないパンだった。
姪はほんの少しだけかじって「んー、これ美味しい!」と笑顔を見せた。
遊覧船がゆっくり動き出すと、うみねこが一羽、また一羽と近づいてきて、船と並んで飛び交った。
そして、私達がちぎって放り投げるうみねこパンを、器用に空中キャッチして食べた。
間近に見るうみねこは意外と大きくて、何となく怖い顔つきをしている。そして、ニャア!ニャア!と、ひっきりなしに鳴く声が、本当に猫そのものであった。
最初は怖がっていた娘だったが、姪達の真似をして、えい!とパンを放り投げている。
上の姪などは、パンの欠片を手に持ったまま差し出して、うみねこは欠片を器用についばんで飛んで行った。それは少し危険な行為だった。うみねこのくちばしは時々、姪の指まで咥えようとした。
私達はキャーキャー騒ぎながら、うみねこの餌付けに夢中になった。
そして遊覧船がコースを一周する前に、私達のうみねこパンはなくなってしまった。
最初はちらほら飛んでいた鳥が、いつの間にか大群となって船上を舞っている。私は映画、ヒッチコックの鳥を想起せずにはいられない。
興奮した子供達は、もっとパンをあげたい。またパンを買って頂戴とねだる。買ってあげるのは容易いけれど、私は「もうおしまいね」と言う。船はもうすぐ船着き場に着いてしまうし、姉ならばきっと、そうするだろうから。
ちょうどこの時、姉は病気で入院していて、私は二人の姪の子守りに岩手に来ていたのだった。
でも私は甘い叔母さんだから、これで最後ねと言いながらパンを買い与えたのかもしれない。どうだったかしらと、今更誰に聞いても、もう誰も覚えていないだろう。
何十年経っても、これからもずっと、私の大切なひと夏の思い出である。
あの遊覧船よりも楽しい乗り物が、この世にあるだろうか。
いつの日か私にも孫が出来たら、きっと一緒に乗るだろう。
みやこ浄土ヶ浜遊覧船。
私の夢のひとつである。
そのためには少なくともあと10年位は、元気で生きていなければと思う。