あめゆきをとって

仮題と下書き

信仰と宗教のこと

母の四十九日だった。

もう四十九日も経ったのか。私はずっと病室にいたので、法要の準備の手伝いもせず、病院まで迎えに来た弟の車に乗って参列した。

姉と、義兄と、私と弟だけの小さな法要。

寺は姉と弟で決めた、小さな寺だった。

お坊さんがお経をあげている最中、私は感情をフラットにしていた。久しぶりの外出。ここで倒れるわけにはいかない。

姉が鼻をグスグスさせていた。私は(また始まった)と思った。

姉は昔から、こういう神妙な場で笑ってしまう癖がある。でもまさか、母の四十九日でそれが出るとは。弟は堪えきれなくなり、嗚咽しだした。そして後で「姉が泣くから我慢出来なくて、もらい泣きしてしまった」と言うので「あれは、泣いたふり。姉は笑ってたんだよ」と教えると、驚愕していた。

和尚樣のお話は短かかったが、確かに私達遺族の心に沁みた。しかし、私はもうそれを忘れてしまった。手術の後遺症だろうか、記憶を長く保てない。それに、感情が高ぶるのを恐れて、他のいろんな事に気を散らしていたせいもある。

葬儀で倒れ死にかけた私が元気になった姿を見て、母は安心しただろうか。

一時退院だけれども、法要に出られて本当に良かった。

法要の後、姉の家に行き仏樣コーナーを設えた。お位牌と遺影と花とお線香。どんな立派な仏壇よりも母らしい、日だまりのようなコーナーが出来上がった。

私も東京に帰ったら、母のフォトフレームを飾ろう。

30年前に亡くなった義母の写真も、新しいフレームに変えよう。

そして二人並べて、春の花を飾るのだ。

 

母は、死んだらここに入れてくれと言って、祖父母の眠る墓地の一角を契約していた。そこには、伯母の墓もある。

しかし、母の願いは叶えられない。

母の先祖代々から祀るその寺は、地元でも大きな寺であった。

しかし、お金絡みで姉と弟はその寺との縁を切った。

よそと比較しても、お寺にかかる金額が異様に高いらしい。そして、縁を切る決め手となったのが「先祖のためならば例え借金をしてでもお布施を作るべき」という主旨の発言だったという。

開いた口が塞がらない。

母は、祖父母や伯母のいるあの墓地に眠りたいだろう。

しかし、私達は寺の言いなりになってお布施が出来るほどの余裕も、信心もないのだ。

 

信仰心のない私は、時々大きなバチが当たってしまう。今回死にかけたのも、そのせいだろう。

しかし私は何かによって生かされて、今もこうして生きている。

信仰と宗教について考える時間を、神様がもう少し分けてくれたのかも知れない。