あめゆきをとって

仮題と下書き

生きてゆく術は、あの場末のスナックで教わった

東北の高校を卒業してから現在に至るまで、思えば様々な仕事をしてきた。

とは言え学歴も資格も何もない私は、立派な仕事になど到底就けない。

最初の就職先は都内の、社員寮付き洋品店だった。

就活用パンフの白黒写真を見て、少し小さめなデパートと勘違いしてしまった。私の田舎には、3階建て以上の商業施設がない。

実際は地上5階地下1階の、ひょろり細長いおんぼろビルで、目蒲線のとある駅近くの線路脇に建っていた。

10分に一度、電車が通る度にビルは少し揺れた。

商品は激安のディスカウント品ばかり、客層はけち臭い貧乏人ばかりだった。

都会のデパートガールになったつもりで上京してきた私は、この職場にとても失望した。

嫌嫌働いたが、たった10か月で店を辞めた。仕事と住まいを同時に失った。

まだ19歳。私にはひとつの夢があった。本当は、作家になりたかったのだ。

でも結局、私は夢よりも安定を選びプログラマーを目指す事にした。作家にはいつの日か、きっとなれると信じていた。

洋品店時代の貯金が全て、情報処理専門学校の入学金に消えた。生活費は学びながらバイトすればいいという、安易な考えだった。

結果的に、この進学は大失敗であった。私にはプログラマーとしての適性が、まるでなかったのだから。

無能なプログラマーだった、会社員時代。

無能でも、雇ってもらえたバブルの絶頂期。

ご馳走してくれると言う先輩社員に喜んでホイホイついて行けば、すぐに男女の話になって困惑した。世の中の全てが軽く、人々が皆、ふわふわ浮わついていた。

世の中はバブリーなのに、私だけいつもお金がなかった。

洋品店の寮費がタダ同然だったので、都会に住む家賃がこんなに高いとは、思いもよらなかった。

金銭的に行き詰まると、水商売の門をくぐった。

最初は喫茶店からだった。より高い時給を求めて、女の子がたくさんいる大店や、怪しげなスナックにも面接に行った。

あか抜けない田舎者の私でも、即採用された。若ければ、不細工でもデブでも何だっていいのだ。

先に記しておくが、風俗だけはしていない。今の年代になっても、私は性的なものに拒否反応が強い。体を売るぐらいなら死のうと思う。

それほど潔癖性なのに、お金のために軽軽とお水をした。

ひと月だけ我慢して、給料を手にしたら店に黙って辞めた。それはよくある話で、店の側も深追いしなかった。

時には1円も手にする事なく、雲隠れした事さえある。オーナーが反社だと気付き、身の危険を感じたからだった。

真面目に生きたって、そうでなくたって、人生なんか、いとも簡単に転げ落ちてしまうのだ。

何度も何度も、都会の罠に落ちかけた。

落ちかけたと思っているだけで、本当は落ちていたのかも知れない。

昼の仕事と掛け持ちしながら、週末はアルバイト。それを余裕でこなせる子はいくらでもいた。それなのに私ときたら、元々あまり丈夫でない事もあり、昼の仕事に行けなくなった。

お酒と男が嫌いで社交性もない私。

水商売が向いていないのは解っていた。客にも何度かそう言われた。水商売を本職にはしたくなかった。

それでも昼の仕事を失った私は、生活を立て直すまで夜の女でいるしかない。

酔客のつまらないジョーク、下衆でくだらない話、それを心から楽しむ演技の出来る嬢だけが、店の売れっ子になれた。

それぞれ訳ありの女達が、訳ありの男達と酒を飲んで夜毎騒いだ。

客も嬢も私も、満面の笑顔の下は皆泣いているようで、何だか滑稽だった。

鏡に映る顔が夜の女の顔になりかけた頃、私はようやく店を辞めた。

 

人生で一番綺麗だった時、お金のためだけに水商売をした。

 

あれはもう30年以上も前の事。

最後に勤めた、あの小さなスナックはもう無いけれど、私はずっと忘れない。

スナックのオーナーは、とうに亡くなった。

一緒に働いていた女の子達の、本名も知らない。

だから今頃どうしているのか、知る由もない。

もし偶然に出会っても、お互いに知らないふりをするだろう。

けれども私は、あの子達の今の幸せを信じ、心から願っている。

うたかたの日々は今も、目を瞑れば浮かんでは消える。

 

 

 

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