今年の1月に倒れ、長い入院生活をした。
見舞いに来た姉が、マスクをしていた。
「風邪?」
「何言ってるの、コロナよコロナ!流行ってるの。あんたのも持って来たからね。病室を出る時には必ずマスクするんだよ」
コロナ…
コロナって?と話を続けるには身体がしんどいし、声も出ない。私は黙って頷いた。
そのうち姉も弟も見舞いに来なくなった。コロナ感染予防のため、入院病棟の見舞いが禁止になったからだ。
私は、ひとり部屋の病室で必要か?と思いながらも姉の命令に従ってマスクをつけた。その頃はまだ、岩手での感染者はゼロだったが、テレビをつければコロナの事ばかり。
退院が近くなると、主治医が
「家に戻りたいでしょうが、東京はコロナで非常に危険です。少し収まるまで、岩手にいてはどうか」と言い出した。術後の私にコロナは致命的らしい。でも私は家が心配だったし、コロナなんてと高を括っていた。
退院して外に出ると、そこは私の知らない世界に変わっていた。
全ての人が、マスクを着けている。
私はイスラムのニカブを想起した。けれどもこれは、宗教でもファッションでもない。未知のウイルスと戦う術を持たない人間の、身を守る唯一のものだった。
退院の日、東京では桜が満開だった。
梅雨になり夏が来て、紅葉も散って、冬。
コロナは収束の気配もない。
人々は、今日もマスクを着けている。
お婆さんも幼児も、誰も彼も皆マスクをしている。
シルバーカートを押しながらゆっくり歩く、小柄なお婆さんとすれ違う度
「あっ、お母さん」
と驚いた後、寂しくなる日々である。
母は何十年も前から、家の外では必ず白いガーゼのマスクをしていた。
最初は、食べ物を扱う商売だから衛生上の理由だったのだろう。
でもいつの間にか、まるで依存症のようにマスクが欠かせなくなった。たとえ真夏であっても一年中、家の外では必ずマスクをした。
母は頭髪が細く、薄毛なのも悩みだった。だからいつでも三角巾をしていた。
マスクも三角巾も、仕事場の外では奇異に見えるから止めてと母に言った事がある。でも、どちらもあの母には必要な物なのだった。私は諦め、母のマスクを毎日洗濯し、三角巾にアイロンをかけた。
ある日、母がこんな話をした。
伯母の家の孫だったか、叔母の孫か、はたまた両方か忘れてしまったが…
母が行くと孫達が
「キャー!魔女が来た!」
「魔女が来たー!」
と、大騒ぎするのだと言う。
「オラノツラツケーガ、魔女ダード!アノ孫ガドーガ、マー、エラスグネーゴド」
魔女!
「まあ、確かにねえ。痩せて小さくて、目がギョロリとして三角巾かぶってて、白雪姫に毒リンゴを差し出すお婆さんに、そっくりかもねえ…」
母は、私にまで魔女に似てると言われ、アッカッカ、アッカッカと大笑いした。
エラスグネーは、不愉快な時に使う方言だが、母はそう繰り返しつつ笑っていた。
「例え似ていたとしてもね、本人にそれを言うのはどうかと思う。お母さんは笑ってても、他の人なら怒るよきっと」
「ンダベナー」
母も最初はショックだったが、次第に可笑しくなって
「ウォー!魔女ダゾー!」「キャー!逃げろー!」と、いつも遊んでいたらしい。
何をやってるのだ…でもまあ、母が楽しいならいいか…
母は、私達の授業参観にもよそゆきではなく、白い割烹着と三角巾にガーゼのマスクだった。だから、遠くからでも小さな母を見つけ易かった。
(マスクはやめてって、あれほど言ったのに…)
少し腹を立てながらも、母が仕事場から学校に来てくれたのが嬉しかった。
私も
姉も
弟も。
本当は嬉しかったのだ。
嬉しかったくせに、私達は母にそれを伝えなかった。
今、誰もがマスクをしている、歪なこの世を母は知らない。