あめゆきをとって

仮題と下書き

ガーゼのマスク

巷ではマスクが話題なので、マスクの事を書いてみる。

最後まで書ききれずに下書きフォルダ行きかも知れない。

心臓をやられてから文章が着地出来ないまま下書きに溜まっているから、心臓だけでなく大脳もやられたかも知れない。

そんな事はどうでもよくて、マスクである。

ビハインドザマスク - 関内関外日記 https://goldhead.hatenablog.com/entry/2021/10/22/131828

この人の、この文章を読んで私も書いてみたくなった。

とは言え、またもや昔話である。繰り言である。嫌なら読むな。

私が倒れて、意識が戻り姉と面会出来た時、姉が大きなマスクをしていたので

「風邪?」と聞いた。(声が出ないから筆談だっただろうか?もう忘れた。)

「違う。コロナよコロナ。あんたもマスクしなさいね」

姉が私にマスクを差し出したので、私はそれを付けた。

コロナ対策のために面会は5分となり、それから間もなく面会禁止になった。

私は病室を出て売店に行く時や、休憩室のテレビを見る時も姉の言いつけを守ってマスクをつけた。

今になって調べてみると、この頃にはまだ、岩手に感染者は出ていなかったのだから、何ともはやな厳戒態勢である。

私が倒れる前の世界は、どうだったのか。。

私は、スマホInstagramで記憶を手繰る。

2019年11月、友人と都内で紅葉狩りをしている。

残念ながら私達はお互いを撮らないから、風景と植物と食べたものの写真だけが並ぶ。

この日、皆がマスクをしていたような気がする。確か、ひとりが「タンポポさんも、マスクした方がいいよ」と言って、私にくれたのだ。

でもそれはコロナではなく、インフルエンザ対策ではなかったか。

友人は高齢の親と同居していたり、病院勤務だったりで、健康管理がとてもキッチリしている。

その時コロナはまだ、対岸の火事だったと思う。でも、話題にはしたような気がする。

2020年1月、娘と池袋西武の初売りに出かける。催事場にあった北斎のオブジェの前で娘が戯けている。

楽しげなインスタをここに掲げたいが、娘にバレたら怒られるのでやめておくが、、実に見事な戯けっぷりだ。

そのインスタの娘が、使い捨てマスクを付けている。

娘は日頃から感染対策にとても厳しい。マスクがコロナ対策ならば、密になる催事場には来ないだろうから、これもインフル対策だったかも知れない。

私が入院していた2020年の1月2月は、大変なマスク不足が起きて、マスクは貴重品となったらしい。娘は知人からマスクを手配してもらい、私の入院見舞いのお返しにマスクを配り、大変喜ばれたと言う。

退院して、盛岡から東京に戻る道中、人という人が皆マスクをしている光景がとても奇異で、異次元の世界に見えたのだから、私の入院前がビフォーマスクの世界だったかも知れない。

記憶が曖昧で、かも知れないばかりでどうしようもない。まあ、どうでもいい話だ。

皆がしていても、マスクが店頭から消えてアベノマスクが配られても、売っていないから自作しても、私は心のどこかでマスクなんか気休めに過ぎない、マスクにいかほどの効果がありやと思っていた。

 

私が中学生の頃、突然声が出なくなった事がある。

声帯の感覚が普段と違う。痛みなどはなく、ただ声が全く出ない。3、4日すると少しずつハスキーな声が出始めて、一週間もすると元の声に戻るのだった。

それが年に一度か二度、大人になっても続いた。

最初はとても驚いたが、放っておいてもいずれ治るので、病院には行かなかった。だから原因は解らないままだ。風邪などひかなくてもおきるので、心因性のものかも知れない。

声が出ない間、私はマスクをして通学した。

マスクをして、声が出ないと周りに伝えておけば、授業で指される事もないので便利だった。

そして、口の悪い男子が

「お前、意外と可愛いな。マスクしてると」等と言い腹を立てたが、実際のところ口元に難があるので、自分でもそう思っていた。

これもどうでもいい話だった。

 

母とマスク。

母のマスクは、薬局に売っている真っ白いガーゼのマスクだった。

母が倒れる直前に、電話で「コロナが怖いから、マスクするんだよ」と言った気がする。

「なあに、おらぁいっつもだが」と母が言い、そうだったねとふたりで笑った気がする。

これも、私の妄想だろうか?

ああ、そうだ。誰か、母の棺にマスクを入れただろうか。

孫の書いたお手紙、母が好きだったお菓子、入れ歯、眼鏡、そんなものたちを入れたような気がする。

金属はダメだと、葬儀屋さんに言われた気がするのは、母でなく犬の時だっただろうか?

気がする、気がするばっかりだ。

母の棺に入れてあげなければならなかったのは、ガーゼのマスクだった。

ビフォーコロナどころではない。母は、半世紀前から毎日マスクをつけていた。

信じないかも知れないが、本当の事だ。

食品の製造販売をするのだから、衛生上の理由は勿論あるのだが、仕事場にいなくても、店が休みの日でも家の外では365日、マスクをつけた。

それはやはり、人から見れば奇異な事に違いなかった。友人によく指摘されたけれど、私も本当の理由を知らなかった。

白いガーゼマスクを春夏秋冬、手洗いすれば少しは長持ちもするだろうに、がさつな母は洗濯機にそのまま放り込む。生地が縮んで小さくなっても使い、ゴム紐がびろびろに伸びたら取り替える。

母の一生で、どれだけの数のガーゼマスクを買っただろう。

授業参観にマスクをしないでと言えば、授業参観に来なくなる母だった。

私はいろんな事を諦めて、母の白衣や三角巾、マスクにまでアイロンをかけた。母はアイロンがけが苦手だったから、かけてあげると嬉しそうだった。

母の棺に、ガーゼのマスクを。

どうして、どうして、思いつかなかったんだろう。

どうして、私は、よりによってあの日に倒れたりしたんだろう。

不仲だった父と母。

父はよく、母の顔を「ミイラみってえな面(ツラ)」「めぐせえ、みったぐなす(器量が悪い)」等となじった。

若かりし頃の母の写真を見れば、ふっくらとした頬に大きな瞳の美少女であった。

食べる暇も、睡眠時間もなく働かせて、母をミイラのようにしたのは父なのに。

真夏にマスクはおかしいよと言っても母は、

「おらあミイラだから、よその人がおらのツラ見だぁもんだら、たまげっから」と言って笑い、決してマスクを手放そうとしなかった。

旅行先の宴席などで、いつの間に撮られた写真があると

「やったーごど、こんなに頬がこけて、本当にミイラみてえだぁ」

と嘆いていた。

母はマスク依存症になっていたのだと思う。マスクをしていないと、マスクのストックがないと、途端に不安定になった。

あの世でも、マスクがないと不安だろうか。

どうかしている。

そんな事、あるはずもない。

そして、世界中の人々がマスクを付けているこの世をあの世から見て、何を思うだろう。

「おらぁまぁ、やったぁごど。皆んながおらの真似コして、マスクすったぁが」

と言って、笑うだろうか。