あめゆきをとって

仮題と下書き

肉屋の娘だった、母のこと

私の実家は、地元では名の知れたコロッケ屋だった。

過去形なのはとうの昔に店を畳んだからで、店主だった母も、父も昨年相次いで亡くなった。

そのコロッケ屋は、元々は精肉店であった。

八幡神社近くの小さな店で、母が朝から晩まで切り盛りした。

父は、テーラー職人だったらしい。

らしいというのは、父が服を縫っているところを、一度たりとも見た事がないからだ。

二階の物置部屋で、黒のジャノメミシンとトルソーと洋裁道具が埃をかぶっていた。ベルト式の足踏みミシンはとても大切なものらしく、触ると父に酷く叱られた。

しかし、仕立ての仕事は全く来ない。父は昼間から酒を呑み、ぶらぶらと遊び歩いた。

手に職も学もない母は親きょうだいに頼り、実家の家業である肉を商って三人の子を養うしかなかった。

父はますます不貞腐れ、肉屋の仕事を一切手伝わなかった。それだけでなく、何かと実家に頼る母が憎くて仕方ないのだった。

最初の頃は、うちの肉も売れたのだと思う。

しかし、時は高度成長期。田舎町にも団地が出来て、スーパーマーケットが増えた。

安くて新鮮で品数豊富なスーパーに客は流れていった。

肉はさっぱり売れず、揚げものだけが学生や働く主婦によく売れたので、母は肉を売るのをやめてしまった。

 

子供の頃の私は少食で偏食だったが、肉は好きだった。

小柄な母が大きな肉の塊を切り分けたり、ニワトリの羽を毟りながら私に「向こうさ行け」と命じても、私は母の作業を見るのが好きだった。

狩猟が解禁になると、父や近所の人が持ち込んだ雉を、母は捌いていた。

いつものように邪魔にされても私はそっと覗いていた。

雄の羽は鮮やかに光って、とても綺麗だ。

首を落とす時は流石に目を瞑っていたけれど、その後はずっと見ていた。母は、決して良いとはいえない手際で何とか雉を解体した。

鳥を捌くのは嫌だ。けれども頼まれるから仕方ない。時間ばかりかかるのに、ほんのわずかな手間賃で。本当はこんな事やりたくない等とぼやきながら、羽を毟っていた。

肉の中から小さな弾がいくつも出てくるので、それを注意深く取り出すのに手間がかかるが、雉の肉は何より美味しいご馳走で、私もキジ汁が大好きだった。

鳥でも獣でも、肉を捌けばそこいら中に鮮血が散る。

いろんな事に神経質な私が、肉の血は気にならなかった。肉から赤い血が滴るのは当たり前の事だし、見慣れていたせいもあるだろう。

それでも学校では、家が肉屋なのをネタにして私を苛めようとする者がいた。

お前ん家の前は、生臭い。

お前が肉臭い。

生の肉なんて、気持ち悪いよね。

殺された動物たち、可哀想‥

 

 

ハア?

あんた達だって肉、食べてるじゃない。

肉、好きでしょ?肉、美味しいでしょ?

肉が最初からスライスされてて、綺麗にパックされてると思ってる?

魚だって食べるでしょ?牛や豚や鶏が可哀想で魚は可哀想じゃないの?何で?あんた馬鹿ァ?

応戦するだけ無駄な喧嘩を、何度もした。

私は気が強いけれども涙腺は緩いので、結局は泣いて、負けるのだった。

この事を、母には言えなかった。

母に、言ってはいけない気がした。それに、口で負けて泣いたなんて、言えば私が叱られるだけだ。

私の家は肉を売るのをやめて、揚げ物店になった。

私は少しホッとしていた。

母の姉と弟二人は、肉を手広く商った。母の揚げ物店も、叔父伯母の肉店も繁盛した。

 

 

私が中学生の時だった。

踏切で停まっているトラックの荷台に、大きな牛が積まれていた。

大きな顔の、大きな黒い目が可愛いかった。

そのトラックの運転席にいたのが、私の叔父だったので、私は驚きながら運転席に手を振った。

しかし叔父は、私に気付いて少し動揺したように見えた。そして険しい表情で、黙って車を発進させた。

いつもなら‥

いつもの叔父ならば、大きな声で

「よおタンポポ、元気か?」と言ってくれるのに‥

「気い付けて、帰れよ」と言ってくれるのに‥

顔をくしゃくしゃにして笑うのに‥

腑に落ちない私は、すぐ母にその話をした。

でも母は、ああそうかと不思議でも何でもないといった様子で

「おめさんさば会いたくなかったんだべ。これから屠殺場さ行くとこだから」

 

と さ つ ば ‥

 

そうだった‥

鶏肉も豚肉も牛肉も、最初から肉だったわけじゃない。

生きていたんだもの。

生きているものを殺して、肉にして、食べていたんだもの。

ああ、あの、真っ黒な目の可愛い牛も…

可哀想だな‥

わたし、学校では威勢のいい事言っちゃったけど‥

やっぱり肉屋なんて仕事、嫌だ‥

私は母に、ぽつりぽつりと学校での出来事を話した。そして

「お母さんは、家が肉屋で嫌じゃなかった?」と聞いた。

「そりゃあ、嫌だったさ。

昔は豚をあづかう(飼う)から、豚の餌にする残飯を集めて回るんだ。

お婆さんと二人、リヤカーひいて。向こうから同級生が来ると、見られるのが恥ずかしくて、お婆さんの陰に隠れたりして」

私は笑った。お婆さんの陰に隠れても、きっと相手からは見えていた。

「姉さん(伯母)は嫌がってやらないから仕方がねえ、お婆さんとよく歩いたなあ。嫌でも仕方がねえのさ。うちのお爺さんが早くにからだ壊したべ。やんねえば生きていかれないんだもの。

豚の仔っこが産まれっぺ。豚の仔っこはまるでめんけえが。真冬は仔っこが凍死しないように火鉢焚いて番したのさ。

でもおら、うっかり寝てしまって起きたっけば一匹火鉢の上で死んでだったなぁ、あのときは可哀想だったなあ」

笑っていい話なのか解らないが、可哀想と言いつつ母が笑うので私も笑った。

リヤカーの話と火鉢の話は、これまでにも何度か聞かされていた、母のおはこだった。

「職業に貴賤はないと言うどもさ、やっぱりあんのや。肉屋は、なぁどしたって下に見られるのさ。獣臭いし、血は汚いしなあ。

おらも女学校ではよく虐められたども、おらが家が肉屋でも関係なく仲良くしてけだ人達がいて、今でも友達だが。

それでもおらぁ、失敗したなあ

大工の人に求婚されだったども、同じ頃におどっつあんとの縁談が来て

昔は仕立て屋っていうのは、大工よりも位のいい職業だったのさ。

おら、大工の方は断って仕立て屋さ嫁に来たつもりだったぁども、あのおどっつぁんがまぁ、さっぱり洋服ばこっさがねえで、バクチで借金こっさぐおどっつぁんだったもの、おら肉屋やんねぇばなぐなったぁが」

なんて事だ。

私は仕立て屋よりも、肉屋よりも、大工のお父さんが良かった。

そう言うと、母はゲラゲラ笑った。

「そしたらば、おめさんは産まれながったべえが」

 

それもそうか‥

悲惨な人生に泣かされても笑いとばして誤魔化しているうちに、本当に楽しかったような気がしてしまう母なのだった。

 

祖父と、伯父と叔父は早くに亡くなった。

いっぺえ殺してきた牛や豚が祟ったべかと語り合いながら、母と伯母と祖母は長生きをした。

後に聞いた話では、あのトラックを運転していた叔父は晩年、慰霊碑を建立して、畜産動物の供養をしたそうだ。

 

 

 

 

今週のお題「肉」