あめゆきをとって

仮題と下書き

一度こわれた心は元には戻らないのだろうか

私は精神科の通院歴がある。でも現在は、通院も服薬もしていない。

難病と心臓の通院と服薬は生きていく限り続くので、メンタルどころではない。

精神科に通院していた頃は、辛かった。

カウンセリングも処方薬も効果を感じたのは最初だけで、どちらもすぐ効かなくなった。

救いを求めてドクターショッピングを繰り返しているうちに薬は大量になり、病院にかかる前よりもずっと具合が悪くなった。

そして私は、素人判断で通院も服薬もやめた。

私は、私を苦しめる全てから逃げる事で通院と服薬から離れられた。しかし簡単ではなかったし、決してそれを人に勧めたりはしない。繰り返すが、人に勧めたりはしない。

全てから逃げる事の出来る人は、そういない。

子供の頃から通知表に書かれていた「感受性が強い」特性は長い期間、私の欠陥であった。

とにかく私は泣いてばかりいた。泣き出せば何時間でも泣き続けた。

ひとたび何かのショックを受ければ、何日でもそれを引き摺った。

生きづらい子供であったし、育てにくい子供だったと思う。

大人になって、生きていくため心に蓋をする事を覚えた。

思春期を過ぎ、若い女性特有の辛さから解放され、様々な事柄にも慣れてゆく。所謂図太いおばさんになると、とても生きやすくなった。

それでも生きていれば、我が子が、配偶者が、実家が、義理の親が、職場の人間がと、ありとあらゆる問題ごとが、まあ次から次へと身に降りかかる。

問題ごとのひとつやふたつならば、何とか切り抜けて来られたものが、一度にみっつ以上だと人は容易く壊れる。

私は、自分の心のコップがストレスで溢れ、パリンと壊れた瞬間を知っている。

 

 

あれは、子供がまだ中学生で、高校受験を控えていた。学校では友人関係の悩みがあるらしかった。

私の夫は、あまり家庭を顧みる人ではなかった。仕事に行き詰まり転職を考えていたらしいが、どうせ私が反対するだろうと勝手に辞めてきた人だ。

実家も義実家も、絶えず問題ごとを持ち込んできたが、私に解決出来ることは、何も無かった。

更年期の私は常に体調が悪かった。それでもお金のためにスーパーでパートをした。

スーパーでは経理事務での採用で、最初はデスクワークだったが、自ら希望してレジに変えてもらった。レジの時給の方が、経理事務よりも100円高いのだった。

娘の塾代と、進学費用がかさむので、パート時間を延長した。娘の将来のためならば、少しも辛くなかった。

自宅からすぐ近くにある中堅規模のスーパーで、働き易い職場だった。

娘が高校生になり、我が家は引っ越しをしたので少し遠くなったが、辞めずに通った。娘の大学進学の費用を貯め、大学を卒業するまでそこで働くつもりだった。

そのスーパーがポイントカードを導入し、レジスターを替え、レジ操作が少し複雑になった。

店としては、販促のためにポイントカードの保有を勧めたいのだが、高齢者世帯の多い地区だったこともあり、カード絡みの雑用が増えた。

精算時にポイントカードの有無を訊ねると、ハンドバックを引っ掻き回してカードを探し始める人や、会計が済んでからポイントカードを出す人があまりにも多いので、レジが混み、並んでいる客に文句を言われたりした。

500ポイントが貯まると500円のお買い物券に交換出来たが、その発券機もよく紙切れや紙詰まり等のトラブルを起こしていた。

 

その男は、店の近所に住んでいるらしく、素足にサンダル履きでよく来店した。

芸能人かと思うほどに目立っていた。真っ昼間にひとりで現れたり、女の人と一緒だったりした。普通のお勤めの人では無さそうだ。とにかく美形だったので、レジの間では有名人だった。

その男がポイントカードで500円券を発行しようとしたが、発行出来なかった。

男はイライラして、文句を言ってきた。

男が持っていたそのカードは、以前にカードの名義である女性から紛失届が出されたものだった。ポイントを移行した新しいカードが再発行済みなので、旧カードが使用不可なのはシステム上当然なのだった。

男は、カードは同居している恋人のもので、拾ったり盗んだりしたものではないと声を荒げた。しかし再発行されている以上、そのカードは無効なのだという事を理解しようとはしなかった。

この不毛なやり取りの間ずっと、私は男の顔を見ずに男の着ていたダウンジャケットのロゴマークを見ていた。

とにかく、無効なものは無効なのだ。有名な舞台俳優によく似た、整った顔を持つ男。いつも同じこのダウンを着て、足は素足で汚いサンダル履きで、恋人名義のポイントカードが使えないと言って騒ぐ男。

事務所にいる店長は、他の店員から知らせを受け、この騒動をビデオカメラで見ているはずなのに、なかなか売り場に来ようとはしなかった。

ようやく現れた店長は私の話を聞くなり平身低頭となり、私に「店長命令だ、すぐに商品券を発行しなさい」と怒鳴った。

私はこのポイントカードでは発券出来ないと言った。店長命令だろうが何だろうが、不可能なものは不可能なのだ。

店長は頭を噴火させながら、500円分の何かの金券を都合して男を帰したが、何をどうしたのか、よく覚えていない。

それは男が帰り際、私に

「てめえ、ブッ殺すからな」

と吐き捨てるように言ったからだった。私は店長の杜撰な後始末に呆れ果て、自分の命がたったの500円ぽっちである事に戦慄したのだった。

私はいい歳をして店のトイレで泣いた。

情けないやら、怖ろしいやら、悔しいやらで嗚咽が止まらなかった。

30分以上も持ち場を放置した。夕方の、混雑時で皆に迷惑をかけているのが解っていても、とても接客出来る状態では無かった。

男はその後も買い物に来て、時々は私のレジにわざと並んで舌打ちをした。

私は男の顔を見ずにレジを打った。

男がいつでも着ていたダウンジャケットは、流行っていたので同じものを他の客が着ている事が度々あった。

黒のダウンジャケット、胸に、これ見よがしなブランドマークのワッペン。

それを見るたびに動悸がして、倒れそうになった。

店を辞めてからも、街で若者がそれを着て歩いているだけで吐きそうだった。

この人は、関係ない。

このブランドは、関係ない。

解っているのに、ロゴマークを見ると鳥肌が立ち、過呼吸になった。

レジの仕事を辞めて、新しくオープンした大型ショッピングモールを受けたら不本意にも紳士服売場の配属になった。

あのブランドは扱っていなかったが、あのダウンジャケットを着た人は度々訪れて、別人なのにいちいち脅えた。

あれから十数年経った。

昨年、私はそのブランドのスウェットを義兄と弟と夫に買った。

スウェットにあのブランドマークが付いていても、もう怖くなかった。

でもダウンジャケットは、どうだろう?

義兄と弟と夫が着ていても、まだ震えるかも知れない。

私は、色とりどりのダウンジャケットが並ぶ場所を遠目に見ながら、決して近付かなかった。

心とは、なんと弱いものなのだろう。

あれから十数年が経っているというのに。

一度でも壊れた心はもう、二度と元には戻らない。