あめゆきをとって

仮題と下書き

ありがとうはてな

私がブログを書く理由は、書きたいからとしか言いようがない。

つまり、誰かに読んで欲しいとか、誰かに何かをお届けしたいとか、一切思っていない。

だからアクセスが一桁でも、どうして読んでもらえないのムキーと憤る事もないし、何かの悪戯で大量アクセスがあると、恐ろしくて震えてしまう。

そんな誰にも読まれなくても構わないブログを、何故書くのか。

それは、自分の「書きたい欲」を満たすため。ただそれだけのために書いている。

以前は、特定されないように書こうとか、知り合いに迷惑がかからないように等と、ブレーキをかけていた。

父を蔑んで書いた文章を、推敲して公募に出したら受賞した事がある。

母に謝ると

「なぁーに、書いてもいいが。親父の悪口でばおらもいっぺぇ書きてぇ事があんが」

と笑った。

しかも、その受賞した文章を、父に読ませようとしていた。

その頃父は入院していて、認知の方も怪しくなっていたから、読んでもどうせ内容はよくわからない。受賞した事はたぶん理解して、喜ぶだろう。と母は言った。

そんな母も父も、もう死んだ。

書いて良かったな‥

読んでもらえて、良かった。

今ならば、そう思う。

 

公募に出す文章は、読んでもらうための文章だ。

小学校で、学年で一番小さく何の取り柄もなくて目立たない私が、作文だけは褒められた。

それから私は学校で、作文の上手な子として生きるために、小さな小さな作家になった。

太宰治が学生の頃、作文の束の中から太宰の書いたものを抜き出して、廊下で読みながら教師は職員室に戻ったという逸話があるが、私の作文でも似たような事があった。

でも子供時代が終わると、作文を書く機会はなくなってしまう。

そうだ、私はまた作文が書きたかったのかも知れない。

先生からの花丸はもらえないけれど、それでもいい。

読者からスターやコメントが付かなくてもいい。

アンチはガン無視で。

書きたい。

書きたい。

ただ書きたいんだ。

 

さて、現在私は出奔中で、離婚調停の真っ最中である。

「実録、離婚裁判」

 

‥‥‥‥‥面白くないわけないよね?

 

書きたい私がいるのだけれど、SNSも禁止されているのに、ブログなんてもってのほか。

‥‥‥‥‥‥‥なのだけれど。

書くよねー。

いつかね。

誰にも読まれなくても構わないブログだけれど、ほんのたまに「この文章に出会えて良かった」と言ってくれる人がいる。

「書いてくれてありがとう」と言ってくれる人がいる。

素直に嬉しく思う。

でも、そんな奇特な人達のためではなく私は、私のために。

書いておいてよかった

書いてくれてありがとうね昔の私

と思う、私のために書こうと思う。

誰にも読まれなくても構わない、このブログを。

 

ありがとうはてなブログ

 

 

 

 

特別お題「わたしがブログを書く理由