手紙を書くのが、子供の頃からやたらと好きだった。
拝啓、とか前略と書き出す手紙ではない。
メモ帳やレポート用紙などの紙切れに、細かい文字でびっしり書いて、ハート型や六角形に折って渡す手紙だ。
当時の私達に、何をそんなに伝えたい事があっただろう。
たわい無い文を授業中に書き、教師の目を盗んで友人の席までリレーで回す。
違うクラスの友人には、休み時間に手渡した。
高校を卒業して最初のゴールデンウィーク、上京組の同窓会が都内で開かれた。
それぞれが進学や就職をして、格好だけは少し大人びているけれど中身は相変わらずの田舎の子達が集まった。
卒業から2か月しか経っていないのに、まるで何年も会えなかったような懐かしさにはしゃぐ私達。
ある友人が、私に言った。
「タンポポいつも手紙くれてありがとうね。私すごく嬉しかった。研修がきつくてさ。なかなか返事、出せなくてごめんね」
「いいのいいの。私が書きたくて書いているんだから、返事なんか気にしないで」
そう言ったものの、本当は誰からも手紙が来なくて落胆する日々だった。
そうだよね、忙しいよねと気を取り直していると、別の友人が言った。
「高校時代のタンポポからの手紙、全部取ってあるんだけど、あれ、どうすればいいのかな?母さんが、もう捨てたらって言うの」
わあ捨てて捨てて。てかなんで今まで取っておいたのと私は悲鳴をあげた。
あれは読んだら速やかに捨てるもので、取っておくような代物ではないのに。
更に別の友人が言った。
「私もゴメンね。あー返事書かなきゃ書かなきゃってずっと思ってて、やっと書いて出してホッとしてたらすぐ手紙来てさあ。タンポポったら」
皆が笑ったから私も笑ったけれど、私はとても驚いていた。
手紙を書くのが苦痛だなんて。そして、私への返信が心の負担になっていただなんて。
それから私は、どの友人にも手紙を出さなくなった。
私の部屋にはテレビも電話もなく、余暇は手紙を書くか本を読むしかないけれど、皆は休日もいろいろと忙しいのだ。
私の暇つぶしの手紙など、皆には迷惑だったのだ。
光陰矢の如し。あれから長い年月が過ぎた。
思えば、あの紙切れは現代のLINE、手紙はメールだった。
同級生が仕方なく寄越していた手紙は、処分したのでもう無いし、ほとんどの付き合いもいつしか途絶えた。
けれども私の手元には、まだ沢山の手紙が残っている。
亡くなった義母と、母からの手紙だ。
整理しなければ‥と思いつつ、手を出せないのは、泣いてしまうのが嫌だからだ。
いくら待っても、もう届かない手紙。出せない返信。
義母も母も、ふたりとも手紙を書くのが好きだった。
私の手紙好きは、母の遺伝だったのだ。
もう二度と / 笑い合えない / 旧仮名で / 片言のような / 母の手紙を(蒲公英)
「おれは、字も文も下手だなあ」と母は笑っていたが、私は母の文字が下手だとは思わなかった。
けれども家の事情で女学校を中退した母の文字は旧仮名遣いで、送り仮名もあやしくてとても読みにくかった。
義母はあの時代にめずらしく大卒で、筆まめな人だったが癖のある走り字でこれまた読みにくく、解読不可能なのであった。
ふたりからの手紙は形見になってしまったから、捨てられない。
何でも処分してしまう捨て魔の私でも、これだけはどうしても捨てられない。
私を火葬する時、手紙の束も一緒に燃やしてもらうしかない。
手紙、来ないかな。
手紙、書きたいな。
今、こうしてインターネットの海に流しているこの文章も、誰かへの手紙、届かない手紙、なのかも知れない。
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」