今週のお題「餅」
自分よりも餅好きな人を知らない。
餅は大好物だ。
個包装の餅を常備している。
(サ◯ウのあれとかね)
偏食で少食だった子供時代にも、餅ならば5つ6つペロリと食べていた。
実家の餅は、父の本家に貰いに行くのが年末の恒例。
本家は山奥にある農家で、広い田んぼと畑があり牛と馬と鶏、吠える犬と懐かない猫がいた。大きな臼と杵で、何升搗いただろうか。父の兄弟姉妹は8人もいて、一族分の餅を搗くのだから本家とは大変なものである。
父が餅をつくのを見た記憶はないので、たぶん父は搗かずに他の兄弟にやらせたのだろう。私は伯母が搗きあがった餅を丸めてお鏡にしたり、のしたりするのを見ていた。
温かくてふにゃふにゃな餅を貰って帰っても、すぐには食べられない。
翌日か翌々日、餅が冷えて固くなると、包丁で切るのが父の仕事だった。東北沿岸北部の餅は、切り餅である。妙に几帳面な父は、きっちり大きさを揃えて切る。
切った餅は箱に並べて、暖房のない廊下に置かれる。私はそれを好きな時に、ストーブの上で焼いて食べるのだ。
餅は膨らみバリッと割れても目いっぱい膨らませてから醤油皿にジューと付ける。
海苔を巻いてもう一度、さっと炙る。
この香ばしい海苔餅をおやつ代わりにいくつも食べて、晩ご飯は要らなくなって、よく叱られた。
母のお雑煮は、鶏肉に牛蒡、人参、大根など根菜と三つ葉の入った醤油仕立ての汁に焼き餅を入れる。そして、摺った黒胡麻や胡桃の甘いタレに、雑煮の餅をつけて食べる。
私はこれが気に入らなくて、お雑煮の餅は汁の味で食べたいし、胡麻や胡桃の甘いタレは焼いた餅につけて食べていた。
本来の食べ方も美味しいと思ったのは、かなり歳をとってからだった。
まだ10才になる前の事、祖母と母と私のきょうだいとで年末年始に湯治に行った。
お湯が良いのか知らないが、大勢の湯治客で賑わっていた。
しかし温泉の他には本当に何も無く、電波も届かない山奥の湯治場だった。
食事は共同のかまどで自炊。材料の調達も大変だったかも知れない。豆とか山菜を煮たものとか、偏食の私には食べられないものばかり。
ここで我儘を言ってもどうにもならないと悟った頃、私は発熱した。
(体の弱い私を)連れてこねえばよかったなぁとか、困ったなぁ、帰ったらおどっつあん(父)さ怒られるなぁと言って、母はおろおろしていた。祖母はどこからか調達した苦い薬を私に飲ませた。
せっかくの旅を台無しにしている自覚はあったが、自分ではどうにもならなかった。
私は生まれつき扁桃腺が大きく腫れていて、そのせいで食が細く年中熱を出していたのだ。
熱がやっと下がり食欲も出てきた頃、母が何か白くて四角いものを煮ているのを見た。
私はそれが餅だと思い込んで喜び、出されたものが高野豆腐の煮物だったので落胆し、めそめそ泣いたのだった。
何のオチもない餅の話ばかりで申し訳ないので、そろそろ終わりにしようと思う。
結婚して、義母の作ったお雑煮を初めて見た時は衝撃的だった。
これは、手抜き?それとも気に入らぬ嫁(私)への嫌がらせか?と内心穏やかでなかった。
お澄ましに白い丸餅、柚子が一片。
それが、夫の家(というか、この地方)のお雑煮なのだった。
夫の親族がしつこく聞くので、実家のお雑煮について話したら、暫くの沈黙の後、あれやらこれやら具材が入ることに全員が批判的であった。
品がない、とか田舎くさい、とまでは言わないものの、奥歯にものが挟まった言い方をした。
(ふん、嫌な感じ!上品ぶりやがってさ‥)
こんな私でも、干支を5周もすればようやく、やっと解った事がある。それは
焼かない白い丸餅も
こんがり焼いた角餅も
どちらも正しくて、どちらも美味しいという事。
私は、元旦には婚家風のお雑煮を
2日には実家のお雑煮を作っていたが、次第に面倒になり、両方をミックスしたオリジナルに変えていった。
美味しかったよ?
めでたしめでたし
とはならずに結婚生活は破綻したけどな!