本をつくりたいと子供の頃から思っていた。
わら半紙を重ねてホチキスで留めたものを作り、漫画やお話を書いて同級生には絶賛されたが、私は(こんなものは本じゃない)と知っているので、ただ虚しかった。
昔、関西に住む母の親友がエッセイ集を出版し、母にも送られてきた。
母は友の出版をとても喜んでいた。そして、その本を私にも読めと言った。読んで感想を言うと、それを手紙に書いていた。そして
「おめさんもこんな本コ出せるようにいっぺいっぺ書いどがん(あなたもこんな本を出せるようにたくさん書きなさい)」
と言った。
私はその時、いつか必ず本を出そうと思った。
それが母が喜ぶ、私に出来る唯一のことだと思い込んだ。
けれども、私の本を見ることなく母は死んだ。
どうすれば本は出来るのかとおろおろしている間に、母は死んだ。
本を出したいのだと声にすると、いい話があると近寄って来たのは変な人ばかりだった。
本を出したいのだと行動に移すと、とりあえず原稿を見せろと言われた。(当然である)
私は、原稿を出すだけ出して一向に返事を貰えない人や、原稿を失くされてしまった人、自費出版して、大量の在庫を抱えた人を知っているから、自費出版するのは怖かった。
何かしらの受賞をすれば、出版など容易いと思ったが、全くそうではなかった。
私は、死んでもおかしくない病で倒れたが、奇跡的に助かり、助かったのは私がまだ本を出していないからだと本気で思った。
何とか身体を動かせるようになってまた、出版を考え始めた。
すると今度は、家出して離婚裁判するという想定外に、エネルギーを全振りしなければならなかった。
離婚するまで、2年かかった。
さあ、本を出すよ。
でも、どうやって?
結局、私はまるで変わっていない。
先日郵便局で、私よりも少し若い女性が冊子を封筒に入れる作業をしていた。
その冊子が文芸誌であるとひと目で解った私は、女性に話しかけていた。
「その本、おいくらで買えますか?私も読んでみたい」
怪しい人だと思われるかも知れないのに、考える前に行動してしまうのが本当に私の悪い癖だと思う。
女性は快く、売ってくれると言った。しかし手持ちの冊子は全て発送用なので、後日送るから先に支払いと住所を教えてと言うのだった。
私は躊躇した。シェルターとしての住処を他人に伝えていいものかと。
しかし、もう調停も終わっているし、冊子を買いたいと言ったのは私なのだ。
私は住所と名前を教えた。
本代と切手代は良いとしても封筒代まで請求されたのは正直驚いたが、相手の言う金額をその場で支払った。
家に帰り、私は後悔した。
あなた本当に欲しかったの?と自分に問いかけた。
自分の現状が解っている?無くなりかけている預貯金と雀の涙の慰謝料で、これから暮らしていかなければならないのに。
仕事だって探さなければならないのに、優雅に読書ですか〜?と。
知り合いのいない地で、誰とも話さない日が続いていた。
私は、趣味が合いそうな人を見つけて嬉しくて、声を掛けたかっただけかも知れない。
私と同時期に短歌を始めた人たち皆が、続々と本を出している。
出版社から出す人、私家版の人…
若い人達がかろやかに本を出し、若い人達の可愛らしい本が店頭に並んでいる。
回り回って短歌ブーム、出版ブームが来たようで、なのに私はまたしても乗り遅れてしまった。
私は本を出したい、出したいと願いながら、出さないうちに死ぬだろう。
投稿誌に、そしてネットの海に書き散らした私の歌たちも、小鳥のように囀って、どこかでひっそりと死ぬだろう。
依頼した小冊子は、すぐに送られて来た。
配達で本が傷まないように、保護材の入った上等な封筒だった。
大切な思いを込めた、大切な本なのだろう。
私の勝手な思い込みで、歌集か句集だと思った小冊子は、エッセイ集だった。
装丁も素敵だったがエッセイがとても良くて、私は一気に読んでしまった。
早速、感想を書いて送ろうかと思ったが思い直した。
やっぱり私も本を、本を作ろう。
たくさんの在庫を抱えてしまうだろうけれど。
その時は、私の本を欲しいという奇特な人に。
要らないという人にも、勝手に送りつけてしまおう。
儲けようとは思わない。儲かるとも思わない。
本を作りたい。
ただ、それだけなんだ。