あめゆきをとって

仮題と下書き

ブルーインパルスを観て、思い出したむかしのこと

オリンピックが終わった。

スポーツは大大大嫌いな私でも、テレビで少しは観戦した。

たくさんメダルを獲ったニッポンすごい。感動をありがとうオリンピック(定型文)。

閉会式は酷いものだった。開会式は‥?開会式がどんなだったかもう忘れた。とにかく閉会式は、酷いものだった(2回目)。

いや、閉会式に素晴らしいものを見た。次開催国フランスのフランス空軍機による展示飛行である。青空にフランス国旗の赤、白、青のスモークが映えて、息を呑むほど美しかった。流石にフランスのセンスは素晴らしい。それに引き換え、日本・・・(以下自粛)

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開会式の7月23日、航空自衛隊ブルーインパルスが東京上空を飛んだ。

私は、まもなくブルーインパルスが飛び立つと昼のニュースで知り、慌てて帽子を被り、マスクをして、ペットボトルのお茶を摑んで外に出た。

自転車に乗り、荒川の土手まで5分、病後で体力が落ちているので8分くらいかかるだろうか。必死にこいで橋を上る。同じように何台もの自転車が橋上を目指す。

上っている途中でブルーインパルスの編隊が通過した。

スマホで写真を撮るのは間に合わなかったけれど、ブルーインパルスの展示飛行を観ることが出来た。私は強い陽射しの橋上でペットボトルのお茶をひと口飲んで、満足して家に戻った。

 

何度も何度でも繰り返すが、私の父は、父親らしいことを何ひとつ私にしなかった。

初めての子である姉と、初めての男子である弟を可愛がる父のエピソードならば、あるにはあるけれど、父の関心は私には無かった。そして私は、それでも構わなかった。

物心ついた頃から父はろくに働かず、留守の時はどこかでマージャンかパチンコ屋だった。

父が家に居る時は大負けした時で非常に機嫌が悪く、些細な事で叱られた。

父の説教は勉強しろ勉強しろ勉強してお茶の水女子大学に行け、であった。

何故お茶の水なのかはよくわからないが、たぶん父は東大とお茶の水しか知らないのだろう。

そういう父は尋常小学校しか出ていない人で、小学卒業後は自衛隊の前身である警察予備隊に入った。

あの父が真面目な隊員であったはずもなく、酔うと横須賀辺りで遊び回った話を吹聴した。

私はつくづく父が嫌いだった。理不尽に怒鳴っているか、黙っているか、気まぐれに与太話をするかだった父。

経緯は知らないが、父と自衛隊の縁は続いていて、ある日、駐屯地のお祭りに招待された。おそらくまだ小さい弟の世話係として私も行く事になったのだろう。父も母もおらず、父の知り合いの隊員の車で駐屯地に行き、航空ショーを観た。弟は無邪気に喜んでいたが、私はずっと緊張していた。

隊員のおじさん達は皆優しかったけれど、子供らしく楽しそうに振る舞う事さえ私には難しかった。

父が家庭を省みない事は、母にとって苦痛であったかも知れないが、私にとってはどうでも良かった。親が別居していた時期には寧ろ、せいせいしていた。

しかし田舎は狭く、人の不幸は面白い。

中2の時、クラスの男子に言われた。

「おめえの親父は、働かないでブラブラしてるんだってな」

私は恥ずかしさで全身がカーッと熱くなった。その男子の周りの仲間数人も、ニヤニヤしながらこちらを見ている。

「うちのお父さんは車で配達してるもん。それに、お父さんは自衛隊だから」

この頃の私は気が強く、男子と口喧嘩ばかりしていた。

父の事なんかで、男に負けるわけにはいかなかった。

父がどういう訳で自衛隊と繋がりがあるのか知らないが、父が自衛隊だというのは嘘だった。

男子達はふーん等と言いながら、それ以上は何も言って来なかった。

母は夜明け前から日が暮れるまで働いたけれど、父は子供らが登校する時間になっても寝ていた。

午前と午後に一度づつ、車で配達をして、それ以外の時間にはゴルフの打ちっぱなしやパチンコで暇を潰した。働きもせずにブラブラしていると他人から言われても仕方がなかった。

母が懸命に働いて働いて、家を建てた。

古い家は自衛隊に貸し、そこは自衛隊募集の事務所になった。

男子はもうそれっきり、父の事を言わなくなった。父が自衛隊だと言ったのは嘘なのに、誰も疑わなかった。

ところがある日の授業中、理科教師がやたらと私の方をチラチラと見るのだった。

何だろう‥

私は理科が苦手で、一度だけ4をとったがいつも3だった。この理科教師のことも嫌いで、天然パーマの頭をカリフラワーみたいだと陰であだ名をつけたのは私だった。

当時仲良くしていたのは学年トップクラスの才女で、才女はカリフラワーに懐いていた。カリフラワーの才女への態度は、私や他の子達と明らかに違っていた。

授業の後、私はカリフラワーに呼ばれた。

「君の家と、自衛隊はどういう関係?お父さんは自衛官なの?」

思いがけない質問と、鋭く冷たい目つきに私はたじろいだ。

「父は昔、自衛隊にいて、その関係で家を、事務所として貸しているようです」

カリフラワーは無表情で立ち去った。あれはいったい何だったのか。

側で見ていた才女も「何だろうね今の。パパに聞いてみる」と言った。才女の父親はインテリで、大抵の事はパパに聞けば何でも解るのだ。

私も帰宅して母に話すと、母には訳がわからない様子だった。

そして、才女がパパに聞いたところによると、日教組自衛隊に反対しているから、私の父が自衛隊に関係している事が不穏の理由なのではと言った。

その学期末、私の理科の成績は2だった。試験では平均点以上を取っていたのに、2なのだった。

主要5教科に2など付いたら、受験校のランクを下げるしかない。私は誰に抗議する事も出来ず、何だかもう何もかもどうでもよくなってしまった。

 

カリフラワーは東日本大震災の、あの大津波の時、どこにいたのだろう。

そして自衛隊は要らないと、今でも思っているのだろうか。