あめゆきをとって

仮題と下書き

父が私にくれたもの

私の父は、父性とか私への愛情というものが果たしてあったのかどうか、疑うほどの人であった。

子供が喜ぶような場所に連れて行ったり、甘やかして何かを買い与えたりという事が極端に少なかったから、数少ないそれらを私は、全て覚えている。

母が弟の出産で入院した日、玩具店に連れて行かれ、買ってもらったリカちゃん人形。

ある夏の日、浄土ヶ浜売店で眺めていたらぶっきらぼうに「それが欲しいのか」と買ってくれた、貝の標本。そのふたつくらいだ。

姉や弟とは差別も甚だしかった。

私は高校入学時、通学鞄さえも自分の貯金で買った。

「いい(偏差値の高い)高校がすぐ側さあんのに、遠ぐ(商業高校)さしかへえれえねえこばがたぐれ(馬鹿者)が」

そう言って父は、私に鞄を買ってくれなかった。

姉の時には、わざわざ盛岡にある老舗鞄屋まで姉を連れて行き「この店で一番上等な鞄を」と、大声で言った。

それなのに私には、入学式が近付いても知らん振りをしていた。母が気を揉んで「お父さんさ頼んで、早く買って貰え」と言うのだが、あの父に頭を下げるなんてまっぴら御免だった。確かに私は商業高校生だが、それを馬鹿呼ばわりする父は、尋常小学校しか出ていない。

私は地元の鞄屋へ行き、安物の鞄を自分で買った。それは見るからに安っぽい合皮製で、鞄を持つ度に忌々しい気持ちで高校生活を送った。

リカちゃん人形、貝の標本、父に買ってもらった物がもうひとつあった。

中学生になる直前の春休み。

父に連れられて駅前の時計店に行った。

時計店のおじさんは、父の数少ない友人のひとりだった。

とても小さな店だが、ケースの棚に整然と腕時計が並んでいて、その中のひとつを選ぶとなると目移りがして決められない。しかし、早く決めなくてはならない。父は、待たされるのが大嫌いなのだ。

「これがいい」

私はシチズンの、文字盤がサファイア色の時計を選んだ。

「それがいいってが、なんぼう(いくら)だや。そんなにすんのが。さあさあ、それは一番たげえやづだあが!」

父は殊更大声を出して、そんな事を言った。ああ、恥ずかしい。その時計は2万円で、決して安くはないが、一番高いだなんて、そんなわけないだろう。

時計店のおじさんは苦笑いをしながら、時計を包んでくれた。こんな父だと知りながら付き合ってくれるのだから、良い人だ。

中学生になり、皆で新品の腕時計を見せ合って、私の時計は皆に褒められるほど素敵だった。

なのに高校生になる頃、私はそれをなくしてしまう。

あの時計をなくした事を、父は知らない。知ったらどんなに激怒しただろう。

リカちゃん人形は誰かにあげてしまったし、貝の標本も、ぼろぼろのゴミになった。

この文章を書き始めたのは、私が入院中で暇をもて余していた頃で、まとまらなくて放置していたら父は死んだ。

父が生前、私にくれたものは、リカちゃん人形、貝の標本、腕時計………

たった、これだけ。

それと、私の生命。

たった、これだけ。

他に、何があっただろうか。