あめゆきをとって

仮題と下書き

お雛様のこと

今週のお題「雛祭り」

娘は幼稚園年少から週に一度、大学病院に通院していた。
重篤な病気ではないものの、治療は小学校卒業時まで続いた。
本人も辛いだろうが、毎週大学病院に連れていくのは大変だった。
待ち時間3時間以上はざらで、やっと呼ばれても診察はたったの5分ほどなのである。
交通費を浮かせるため、ママチャリで通った。病院は自宅と幼稚園の中間にあって、治療後に幼稚園へ連れていく。
その大学病院の近くに、人形店はあった。看板もない、店舗と呼ぶには簡素な、節句の時期だけ営業する工房だった。
展示されている雛人形に気付いたある日、私は吸い寄せられるように店に入った。

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30年前の1月。雪の多い年だった。その日も小雪が舞い散っていた。予定日を過ぎても出産の兆候がなく、早く産気付くようにたくさん歩きなさいと言われた検診の帰り、新宿のデパートに寄り道をした。
催事場には、桃の節句雛人形がずらりと並んでいた。
華やかな雛飾りを眺めていると、お腹の子がとてもよく動いた。
女の子かも知れない。女の子だといいな。もし女の子が産まれたなら、お雛さまを買わなくちゃね…
果たして、産まれたのは女の子であった。
女の子なのに、まるで金太郎のように丸々としていた。
夫の父と私の母が、どちらも自分が雛人形を買うと言って譲らず、少し厄介だった。
結局、私の母にお金をもらい、人形は広い物件に引っ越してから買う事にした。
当時のアパートはとても狭く、人形を置けば私達の寝る場所がなくなるのだった。

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病院の近くで見つけた工房。
年配の女性が「ゆっくり見ていって下さいな」と優しく言い、販売トークは一切しない。
そこは、偶然にも私の好きな人形師の工房だった。しかも、デパートよりも格安である。これは運命…と私は思った。




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小さめの親王飾りを購入した。
木目込がメインのその工房の中では珍しい、衣装着の人形だった。
格安とはいえ、雛人形は高価だ。今は親王飾りだけど、そのうち余裕が出来たら三人官女を買い足そうと思った。
毎年、桃の節句近くになると工房を覗いた。
我が家の親王飾りに合う三人官女は、その年によって置いてあったりなかったりしたが、頼めば作ってもらえるのだろう。
けれども我が家に余裕というものは、なかなか出来なかった。
娘が中学生になる直前に、大学病院での治療が終わり、工房を覗く機会が無くなった。
三人官女をずっと気にしていたのは私だけで、娘が欲しがっていたわけではない。
ひな祭りのパーティーはお友達を呼んで、賑やかに行ったが、子供達の関心は人形よりもケーキの方だった。
娘が成長すると、人形をうっかり出し忘れる年もあった。
パートに出始めた私は、いつも疲れ果てていた。
3月3日に雛人形が飾ってあってもなくても、娘は大して気にしなかった。それでも仕舞い込んだら人形が可哀想な気がして、忘れた翌年には必ず出すようにしたけれど。

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子供の頃、自分ではあまり駄々をこねた記憶がないが、私がとても我儘で、いつも母を困らせてばかりいたと姉は言う。
特に酷かったのが「お雛様が欲しい」という我儘で、それは呆れるほど長く続いたと。姉はお雛様などちっとも欲しくなかったので、また始まったかとシーズンの度に思ったそうだ。
確かに私はショーウインドウに人形が飾られる毎、母にねだっていた。
だって、誰も彼もが雛人形を持っていたのだ。お隣のユキちゃんちにも仲良しのユカちゃんちにも、ひとりっ子のメグミちゃんでさえも、立派な七段飾りを持っているのに、どうしてうちにはお雛様がないのか。
「欲しがる気持ちはわがっともさ、金がなかったもんなぁ。おめさん達は大きくなったし、お人形さんはもう無くてもいいべ」
自分の家が貧乏なのは解っていた。母が働いても働いても、父がギャンブルで使うからだ。もし雛人形を買ったら父は、無駄だと激怒しただろう。
だけど、弟が産まれてからは暮らしが上向いていた。そして弟の五月人形や兜飾りを母は嬉々として買い揃え、父は何も言わなかった。
母は、小さいテーブルで段々を作り、家中のぬいぐるみやコケシを並べた。
「ほら、これでお雛様の代わりすっぺし」
それは、少し愉快な眺めであった。私も段々にリカちゃん人形を並べた。お隣のユキちゃんチーちゃん姉妹も見に来て、私達はおやつを食べたり遊んだりした。
けれども一晩経つと、やはりそれはただの子供騙しで、惨めで、少しも楽しくないと気付くのだった。

きっと、そのせいだろう。大人になっても、私は今でも、自分のお雛様が欲しいのだ。
娘が通わなくなった病院に、20年近く経って今度は私が通っている。死ぬまでここに通う事になるだろう。
巡り巡って人生は、本当に不思議な事ばかりだと思う。
そうだ、あの人形店はどうなってしまったのか。確かこの辺にあったはずなのに、私の記憶違いだろうか。
私は定期検診の後に入った喫茶店で、マスターに尋ねてみた。この喫茶店も20年前、いや、もっと昔から其処にある古い店だった。
すると、人形店のご主人は既に亡くなり、工房も今は無いと言う。
「でも、越谷の方で息子さんがまだやっているはずです」
「そうですか。ありがとうございます」
越谷…
行こうと思えば行けない事はない。けれども…

三人官女を思い続けた、長い長い日々。けれども、もうやめようと思った。
ふたりぼっちでもほら、こんなに可愛らしい人形なのだから。



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