あめゆきをとって

仮題と下書き

おにぎり

 

私は母を崇拝してきたが、実際のところ、母は主婦として欠点の多い人であった。

料理、洗濯、掃除等、家事のセンスがまるでなかった。

母は、働かない父の代わりに、朝まだ暗いうちから商売をした。だから、家事が疎かになるのは仕方ないと思う。料理と掃除は姉、洗濯とアイロンがけは私が母より上手くなった。

母は商売を回す事に必死で、家事育児どころではなかった。

一升炊きの炊飯器いっぱいに米を炊き、それが無くなるまで次の米を炊かなかった。

おかずは夕方、閉店前の魚屋でお造りを買った。

私は、炊きたてのご飯ばかり食べ、冷や飯を嫌って食べなかった。その事を、母と姉からしょっちゅう叱られていた。残ったご飯を、母は蒸し器に入れてお蒸かしにしたが、私はそれが大嫌いだった。お蒸かしはいつまでも残って黄色く変色し、腐りかけではないかと思う味になる。いなかでは腐敗する事を「あめる」と言うが、余程あめ臭くならない限り、母は決して捨てようとしない。

不思議だったのは、父がこのお蒸かしに、ひとつの文句も言わなかった事だ。

味の落ちたお蒸かしを食べるのは、農家の出の父には抵抗がないらしい。

父はよく、残り飯でおにぎりを作るよう私達に言い付けた。

具は、塩鮭か筋子があれば最高で、具なしの事も多かった。

母はおにぎりを丸く握った。父が握るおにぎりもまん丸だった。(これは、土地柄なのだろうか。学生の時、皆のおにぎりがどうだったか見ておけば良かった)

その丸いおにぎりを、ストーブの網に並べて炙る。乾いた表面に、砂糖醤油をつけてさらに炙る。香ばしい焦げ目がつけば出来上がりである。

甘辛く焼いたお握りは、父の大好物であった。

美味い、美味いといくつも平らげた後

「俺のお袋が焼いた握り飯は、うんまがった。世界一うんめえ、握り飯だった」

と、必ず言うのがお決まりだった。

いつもそう話すので、どれだけ美味しかったのだろうと気になった。お握りなんて、誰が作ってもそう変わらないだろうに。

祖母は既に亡くなっていたので、本当に世界一かどうか確かめる事も出来ない。

焼きおにぎりにすれば、食の細い私でも食べられた。でも私は父が好む砂糖醤油よりも、普通の醤油の方が好きだった。

母はおにぎりの海苔も、塩ではなく醤油をつけて握った。だから海苔お握りを炙ると、海苔と醤油が焦げて、お煎餅のように香ばしくなる。

 

私が特に好きだったのは、炊きたてのご飯に味噌を塗りたくっただけのお握りだ。

そろそろご飯が炊けるという頃、母にねだると

「夕飯が食べられなくなるから我慢しなさい」と怒られる。

それでもどうしてもとせがめば母は渋々、小さな卵の形にご飯を握り、味噌を付けて更に握る。

私はそれを嬉しく頬張って、夕飯は母の言った通り、あまりすすまなくなるのだった。

 

今でも私はお握りが大好きで、東京で美味しいと言われる店のお握りを食べ歩いた。外でお酒を飲んだ後も、お品書きにおむすびや焼きおにぎりがあれば頼まずにいられない。

自分でも長年かけて美味しく作れるようになった。

だけど一番美味しかったのは、遠い日の、母の味噌お握りだと思う。

二度と味わう事の出来ない、あのお握りこそが、最高の味なのだと思う。