あれは、私がまだ10歳にも満たない、小学生の頃。
当時住んでいた家は、木造の小さな店舗兼住宅で、肉屋を営んでいた。
しかし肉があまり売れないので、母は売れ残りの肉を刻み、玉葱と肉を串に刺し、パン粉をつけて串カツにした。父の生家の畑で採れたじゃが芋を使い、コロッケも作った。
すると、その串カツとコロッケが、飛ぶようによく売れた。
近くに中学校と高校、洋裁学校があり、放課後は店内が学生でごった返した。
「やーい、お前んちコロッケ屋」と、苛めっ子達に馬鹿にされるのが悔しかったが、コロッケのおかげで人並みな暮らしが出来ているのだと思い、我慢していた。その苛めっ子の夕飯だって、どうせうちのコロッケだ。美味いだろう、ふん、ざまあみろだ。
毎日毎日よく売れて、母は夜明け前から仕込みをしなければならなかった。
父は商売をほとんど手伝わず、売上金をこっそり持ち出してはパチンコと競馬に行った。母ひとり働けど働けど、暮らしは楽にならず、お金が元で喧嘩の絶えない家だった。
母が留守の時にお客が来ると、私がコロッケを揚げた。まるでじゃりんこチエだった。見よう見まねでも揚げ具合は完璧。しかし暗算が苦手なので、お釣りは間違いだらけだったと思う。
ある日の早朝。
仕事場から音がするのはいつもの事だが、何やら人の話し声がするので覗いてみると、母と、一人の見知らぬ男がそこにいた。
母は私に気付くと忽ち
「こっちさ来んな」と険しい顔で言った。
慌てて部屋に戻ったが、その後「隣さ行って中華そばをひとつ、頼んでけで」と、母が私に言いつけた。隣の家は食堂を営んでいて、食堂のおばさんと母はとても仲が良かった。
お昼に中華そばをとることはあるが、こんな朝早くから出来るものかしらと思いながら隣に行くと、おばさんも訝しがって家にやって来た。
その後も「わらすはあっちさ行け」だったので、私が理由を知ったのは男がいなくなってからだ。
あの男は、泥棒だった。
仕事場を漁っても金がなかったので、業務用の大きなハムを2本、冷蔵庫から持ち去ろうとして母に見つかったらしい。
不遇な身の上を語り、シクシク泣いて謝り、何日も食べていないと言う泥棒に母は出前の中華そばを食べさせた。
子供がいると聞いて、ハムを土産に持たせて帰したのだった。
「お父さんには絶対に内緒」と、後でこの話を聞かされた私は心底呆れてしまった。
絶対に内緒って、当たり前だ。あの父が知ったなら、どんなに激怒する事だろう。
泥棒に飯を食わせ、あんな大きなハムまであげてしまうなんて。
普段から父は母を馬鹿者よばわりしたけれど、このひとは本物の馬鹿じゃなかろうかと不安になった。
私は母に言った。
「泥棒の言う事なんか、全部嘘に決まっている。泣いたって、嘘泣きに決まってる。これで味をしめて、また他所で同じ事をやるかも知れない。警察に突きだしてやれば良かったのに」
すると母は
「そうか?おらは本当の話だと思ったけどな。たとえ騙されたとしても、おらはいいのさ。もし本当だったら、警察さ捕まったら、わらすが可哀想だべか」
「ちっとも可哀想じゃないよ。泥棒の親なんか、捕まった方がいい」
「そうだべかなあ」
この母には何を言っても無駄だった。母は、いい事をしていい気分になっていたのだから。
あの男はきっと改心して、真っ当に生きてくれるのだと。母は本気でそう信じていた。
今週のお題「激レア体験」