『銀河鉄道の父』を観てきたのだけれど、映画とはあまり関係ないことを書く。
映画は面白かった。私の「面白い」は最後まで飽きなかったという意味である。(つまらないと映画館の椅子に座っていられなくなる)
とてもよく出来ていたと思う。きっと今年度の映画賞を総なめにすると思う←なに目線(笑)
だから皆も観に行くといいよ。
公開からまだひと月も経っていないのに、平日とはいえ岩手であの客の入はないだろう。劇場で映画を観ようキャンペーン。姉にも娘にも絶賛しておいた。
ところで、お気付きの方もいるでしょう(いないか)このブログのタイトルは、宮沢賢治「永訣の朝」からとっている。はてなブログを始める時にブログタイトルとidを決めねばならないのだが、その時何故かあめゆじゅとてちてけんじゃの他に何にも浮かばず無理くり付けた。
「永訣の朝」は、中学か高校か忘れたが国語の教科書に載っていて、だから私にとって宮沢賢治といえば「永訣の朝」なのであった。
しかし学校で習っても、生まれ育ちが岩手であっても「あめゆじゅとてちてけんじゃ」この言葉は不可思議だ。
あめゆじゅ=あめゆき
とてちて=とってきて
と習ったと思う。でも私達は、そのような言葉を使わない。
けんじゃとは?
下さい?賢治や?兄を呼び捨てに?
解る人!誰か!
と長年の謎だったので、このシーンが見られたのは良かった。でも、結局はよく解らなかった←
小学生の頃、私は消極的で目立たない子どもだった。なのに5年生か6年生‥忘れてしまったが高学年の時、これも何故なのか忘れてしまったが、低学年の教室で私が音読をしなければならなかった。
その時に読んだのが宮沢賢治の「注文の多い料理店」そして「銀河鉄道の夜」であった。
私は教師から本を渡されるまでその二つの物語を知らなかった。
私は音読が嫌いではない。初見の本でもわりとすらすら読めた。台詞などはほんの少し感情を込めて読んだりもした。
しかし、宮沢賢治の文章には知らない単語や難しい言い回しも多く、登場人物の名前もやたらと長くて風変わりだから、私はつっかえ無いよう読むのに精一杯で、どんな物語だったのか全く思い出せない。
覚えているのは教師があまりにも長時間、私ひとりに音読させるのでとても疲れてしまい、かと言って抗議する勇気もなく、ふーとため息をついてひと休みしてみた。すると教師は
「続けて」
と、冷たく言い放った。
抵抗虚しく、私は続きを読んだ。チャイムが鳴って解放されるまで読んだ。
本当にあれは何の嫌がらせだったのだろう。朗読ならば教師がするべきではないのか。
低学年の生徒達は終始静かに聴き入っていたが、あの難解な物語が解ったのだろうか?読んていた私自身がよく解らなくて、変なお話だと思っていたのに。
この不可解で嫌な経験が、宮沢賢治の童話から私を遠ざけたのだった。
あれから半世紀の時を経て、宮沢賢治ゆかりの地に暮らすなんて、想像もしなかった。
そして、映画化された賢治の物語に触れ、賢治の物語をまた読んでみようと思うだなんて。
人生は解らない。
でもいつかは全てが線で繋がるんだね。星が星座を作るみたいに‥
などと、美しい夜空のシーンを観ながら思いましたとさ。