Twitterを眺めていたら、ハッシュタグ電光掲示短歌として流れてきた素敵な画像にひかれた。
駅の歌ならいくつか持っている。新聞に掲載されたものもある。
私の歌も画像にしてもらおうと、すぐにリプライした。
この歌は毎日歌壇 加藤治郎選の没歌だが、私にはとても大切な歌だ。少し手直しした。
#電光掲示短歌 pic.twitter.com/IEa3A9PQce
— あきやま (@kiyama_Co) 2020年11月21日
私が宮古の実家に帰省して、東京に戻るという朝、母は必ずこう言うのだ。
「おらぁ見送りはしねえっけえに。駅さ行ぐど涙が出はっけもの」
わあ嫌だ。駅のホームでめそめそされてはたまらない。それに、私の実家は駅から徒歩5分だが、足の弱った母と歩けば15分かかる。発った後、母が無事帰宅したか心配するのも面倒だ。私は敢えてあっけらかんとこう言った。
「いいからいいから、駅さば来なくても。ここでさよならすっぺし」
しかし母は、間際になると必ず
「やっぱりおらも駅さ行ぐべ」
と言って、駅まで付いて来た。
改札で手を振る母の姿。
これで最後、これが見納めかといつも思っていた。
けれども母は長生きした。身体は年々痩せ細り、足はますます悪くなるばかり。見送りは要らないと何度言っても母は付いて来て、列車が発つまで側に居るのだった。
昨夏、とうとう私は母に列車の時刻を教えなかった。母には「友人と海に出かけてお茶をして、そのまま帰るから」と告げた。
車で駅まで送ってもらい、友人と別れた直後に母の姿を見つけた。列車かバスか、私が何に乗って帰るのか知らない母は、駅舎とバス乗り場の間を行ったり来たりしていた。
ああ、こんな事ならばちゃんと教えておけば良かったのだ。
母は私を見つけると
「あら、いだぁな。そろそろだぁがなと思って、暇だから来てみたらいだった。良がった事」
と、子供のように喜んでいて、私は呆れた。
あんな時間はもう、戻って来ない。
どんな時間も二度とは戻って来ないのだ。
解っていたのに。
解っていたのに、どうしてもっと
どうしてもっと
どうして
どうして
どうして
どうして
居場所などもう無いと知る故郷にそれでも帰る私は鮭か (岩手日報掲載歌)
大嫌いだった実家。
それでも帰っていた、実家。
もう、誰もいない実家。
いずれ無くなってしまう実家。
この先、私が宮古駅に降り立つ事は、あと何回もないだろう。
けれども東京に戻ろうとする時、母が駅のどこかに隠れて見ているような気がして、母の姿を探してしまうかも知れない。