病気持ちの割には長く生きた。数えきれないほどの人達と、人生を交差させてきた。私はその一つ一つを大切に、ずっと覚えていられると思っていた。
記憶力だけが取り柄だったのに、物忘れが酷い。病に倒れたせいなのか、加齢のせいか、両方かわからないけれど。
いつでも自由自在に引き出せるはずの思い出を、全て忘れてしまうのかもしれない。そう思うと寂しくて、どうでもいい事さえ書き残しておきたくなる。
なっちゃんという女の子のことを、書いた事があっただろうか。
先日、ひとりでアニメ映画を観てきた。
本当は、『閃光のハサウェイ』が観たかったけれど、これはシリーズものなので、せめて1作でも何か先に観たほうが良さそうだ。
今まで一度もガンダムを観た事がなく、予備知識はゼロだ。ハサウェイとは何なのかも知らない。それなのに、ポスターの絵柄に強く引き寄せられた。
そして、何故かなっちゃんのことを、ふっと思い出した。
なっちゃんはどこかできっと、『閃光のハサウェイ』を観るだろう。そんな気がした。
なっちゃんは、私が22歳の頃、19歳だった。
私が働いていたプログラムの開発会社に、アルバイトとして入ってきた。
いつもヨレヨレのTシャツにだぼだぼのGパン、自分で刈ったというショートヘアにすっぴんで、まるで小学生男子のような風貌だった。
適性試験の点数よりも見た目で女子社員を採用するような社長だったが、それでもなっちゃんを採用したのは、彼女が東大を目指して浪人中の苦学生だったからだ。
お金が無くて予備校にも行けず、他の私大も眼中になく、絶対に東大しか行きたくないと言う。そんな彼女を面白いと思ったのだろう。地頭が良いせいか、適性試験の点数も高得点だった。
因みに私も顔採用ではなく、試験の点数が良かったので採用された。しかし実際には、私はプログラミングの適性がまるでなかった。
なっちゃんはあっという間にプログラミングを覚えたが、私はいつまで経ってもチンプンカンプンで、男性社員に甘えてこっそり自分の仕事を押し付けた。
バブルがみるみる膨らみつつある時代だった。
しかし、東京の高い家賃を払い、洋服を1枚でも買えばお給料はすぐに消えてしまう。
男ばかりの会社だったから、いつも誰かがランチを奢ってくれた。
でもなっちゃんは誰ともランチに行かなかった。休憩時間はひとり事務所に残って受験勉強をした。
お昼はどうするか聞くと、ニコニコしながらヤマザキのフランスパンを出した。
「ウチな、これ好っきやねん。ウチ、3食これだけで大丈夫やねん」
男性社員達は呆れ、誰もなっちゃんを誘わなかった。女のくせに生意気にも東大を目指し、フランスパンをかじる不思議ちゃん。そんな風になっちゃんを皆、少し馬鹿にしていたと思う。
私もお金がなかったけれど、時々サンドイッチや牛乳やお惣菜を買い、遠慮するなっちゃんに強引に渡した。本当に毎日パンのみをかじる彼女は、あきらかに栄養失調だったから。
ある日なっちゃんが、描きかけのセル画を見せてくれた。
休憩時間にアニメージュを読んでいたから、なっちゃんがアニメ好きなのはわかっていた。100円のパンしか食べられないのに、パンよりもずっと高価なアニメージュは買うのだ。しかし、セル画彩色のアルバイトまでしているとは思わなかった。
「ウチなあ、富野由悠季がめっちゃ好きやねん」
「そうなんだ。じゃあなっちゃん、アニメを仕事にしたらいいのに。どうして東大なんか行きたいのさ」
「東大は、子供の頃からの夢だから」
「ふうん、で、東大に行って何するの?」
なっちゃんはふふふと笑って答えなかった。おそらく、東大に入った後の事は何も考えていなかった。
「ウチなあ、どうしても東大に行きたいねん。東大にしか行きたくないねん」
この話にはオチがない。私は会社を辞めてから人生の底まで堕ちてしまい、その後のなっちゃんを知らない。
セル画彩色のバイトは、内職以下の低賃金だったらしく、なっちゃんはとても落ち込んでいた。作業そのものはとても好きなのだ。しかし、栄養不足に寝不足も加われば、受験勉強どころではない。
受験を諦めて正社員になる等の道すじを、社長が勧めてもなっちゃんは頑なだった。
なっちゃんは東大に入っただろうか。そして、どこでどうしているのだろう。
痩せっぽちだったなっちゃんも、もう50代だ。夢を叶えて、もしくは夢破れて、大阪に戻っただろうか。大阪以外の土地で暮らしながら、今も関西弁を使うだろうか。
私はアニメ映画を見ると、クレジットになっちゃんの名前を探してしまう。
京アニの事件の時は、どうかどうかいませんようにと震えながら被害者リストの名前を探した。
なっちゃんがなりたかった何者かに、なれていればいいと思う。
なれなかったとしても、元気で生きていてくれればいいなと思う。