あめゆきをとって

仮題と下書き

母と、百合のこと

 

手術の後遺症で、いろんな事を忘れてしまった。大事な事も、どうでもいい事も忘れた。何を忘れたかもわからない有り様で、まあでもそれは仕方ない。あの、死にかけた日にきっと、三途の川に記憶を捨てたのだ。思い出など、生きている間の自分にしか価値のないものだから。

母の事を書くのはもうやめようと思いつつ、

たぶん同じ事をどこかで書いたような気もするけれど、どこにも残っていないのでまた書く。

中学生の頃に華道部だった私は、文化祭で展示する花材に鉄砲ユリを選んだ。

鉄砲ユリは、母が一番好きな花。

母が昔、鉄砲ユリを花瓶に生けながら、あの花弁のシュッとした姿がとても好きだと、確かにそう言ったのだ。

作品を先生に見せると、ユリの小さな蕾を落としなさいと指導されたが、そのまま残した。

先生はいつも、余分な蕾を切り落とせと言う。私はそれに抵抗があった。

茎や葉を切る時は何も思わないのに、蕾は蕾が痛そうな気がするのだ。

その年の秋は、気温の高い日が続いていた。

展示を見てきた母に感想を聞いてみると、母は何だか困ったような顔をして言った。

「おめさんの生け花、あれは先生が直してけだったの?」

「先生は必ず皆のを手直しするよ。私のも少し直されたよ」

「ああ、そうか…おめさんのは、何だか、まるで賑やかだっけがね」

賑やか?

その意味がある解らず、どうして私が鉄砲ユリを選んだのか、ネタばらしをするタイミングも逃してしまった。

そして、展示の花を見て唖然とした。

生けた日には小さな蕾だったのに、花が全て開いて賑やかなことになっていた。

蕾が開いたら、作品の形が崩れてしまうと先生が言ったのは、本当だったのだ。

 

それから10年後の、私の結婚式。

新郎新婦から両親への花束贈呈で、私は鉄砲ユリを選んだ。

鉄砲ユリの大きな大きな花束を、母にプレゼントしたかった。

この白い花束は、夫の親族にはすこぶる不評で

「葬式じゃあるまいし」と陰口を叩かれた。夫の母にも

「バラかカーネーションが良かったのにねぇ」と言われたが、聞く耳を持たなかった。

 

子が生まれ学校に通うようになり、私も仕事を始めると、故郷への足が遠のいて行った。

数年ぶりに帰省すると、玄関には花が生けてあった。

「おめさんが来っから、おら慌てて掃除したの。久しぶりに花ッコも買ってきたが」

その花が、鉄砲ユリ。そういえば、帰省すると玄関にいつも花があり、鬼百合だったり透かし百合だったりした。

母は本当にユリが好きなのだなあと思いながら、眺めていると

「おめさんユリが好きだから、ユリにした」

と言うので、とても驚いてしまった。

私はユリを嫌いではないが、特別好きでもない。

ユリのような大輪の花よりも、ふわふわとした小花が私は好きなのだった。

 

いつの間にか、お互いの好きな花はユリだと思い込んでいた私達。

昨年に見た、ニッコウキスゲの群生はとても素晴らしいと思った。

あの風景を、母にも見せてあげたかった。

見せてあげたかったんだ。

私はこれからずっと百合の花を見る度に、母にしてあげられなかったいろんな事を、思い返しては悔やむのだろう。