なまことめかぶ、そしてすっとぎ。
なんの事だか解るだろうか。
これらは母の好きな食べ物だ。
魚菜市場で働いていた母は、田舎の人達が採ってきて市場で売る、旬のものを買うのが好きだった。
春のたらの芽、秋の松茸。
夏にはウニ、ホヤ。
走りには値が高い。不漁でも高い。毎日あちこちの店でものを見て回り、よしと決めて買って帰る。
もう少ししたら安くなると思っているうちに終わってしまうとか、買った次の日にはもっと安かった等、いつもの事だった。
東京で長く暮らしていると、季節感を無くしてしまう。
都会では魚も野菜も果物も、旬でない時期に輸入物がずらりと並ぶ。
魚菜市場の仕事を引退してからも母は、シルバーカートを押して家から市場まで歩いた。
疲れたら、シルバーカートに座って休み休み、片道一時間はかかっただろう。
そして、市場にあれが出たこれが出たと言っては、離れて暮らす私達に何やかや送ってきた。
なまことめかぶとすっとぎと、若布やうるいやたらの芽が、早春の宅配便に入っていた。
母から荷物が届くと、その仕分けで忙しくなるから少し面倒だった。
鮭の腹子が入っていれば、すぐにほぐして醤油に浸けなければならないし、魚は小分けにして冷凍。日持ちしない野菜は急いで知人に配らないと萎びて無駄になってしまう。
めかぶなどは足が早く1日ともたない。
なまこもホヤも生きているものが届くから、塩水に浸して暫くそれを眺めながら賑やかだった市場を懐かしんでいる。
私の子供時代は外で遊んだ時間よりも、母の仕事が終わるまで市場の中をうろうろした時間の方が長いのだった。磯の香りを強く放つ物体を眺めながら内心、困ったなあと思う。
調理法は母の手元を見ていたから知っているけれど、作っても家族の誰も食べないのだ。
知人にあげようとしても「食べた事がないから、要らないわ」と言われる始末。
私は母にやんわりと言った。
「なまことホヤはもう送らないでね。うちでは誰も食べないから、」
「あら?そうだっけか?」
母は、悪びれもせずにカラカラと笑っていた。
「なまことホヤが好ぎでねーのは◯◯(姉)で、おめさんは好ぎだと思ってだった」
「あのね、なまことホヤが好物なのは、お母さんだけだから。私が好きなのはウニとイクラと鮭と松茸とたらの芽と…」
こんなやり取りを何十年も繰り返してた。
そう、2019年の秋までは。
すっとぎというのは宮古の郷土菓子で、なまこのような形をしている。
すっとぎも母の好物だった。冬から春にかけて、いっ時しか出回らない薄緑色の生菓子を、母はちびちび食べながら日本酒を飲んでいた。
偏食だった私は、すっとぎをほとんど食べた事がない。豆で出来ていると聞いただけで拒否していた。
ずんだ餅が好きになった今ならば、すっとぎも食べられるかも知れない。
でもすっとぎは、宮古の地で食べるからこそ美味しいのだと思う。
東京で食べるスーパーのめかぶや、外国産ウニや松茸があまり美味しくないように。
Twitterで、すっとぎの画像を見て、また母を思い出した。
母からの荷物が届く事は、もうないのに。
それが当たり前だった頃の、自分のわがままさを後悔している。
そう後悔、後悔、後悔ばかりの日々。
あの世からも母の荷物を届けてよ定期便だったクロネコヤマト
ダ・ヴィンチ(宅配便)没作