それはまだ、小学校にあがる前の年の事。
私と、同い年で仲良しのユキちゃんと、少し年上の近所の男の子達数人で、高校のプールに忍び込んだ。
私の家の近くには、八幡神社と中学校と高校があり、校舎に入らなければ全てが遊び場だった。真夏ではない、春か秋かもう忘れてしまったけれど、プールには水が満ちていた。キラキラと眩い水面。他の子達がするように私もプールサイドに腰かけて、足のつま先で水をバシャバシャ蹴ろうとした。ユキちゃんは上手に大きなしぶきをあげているのに、ユキちゃんよりチビの私は水面に足が届かない。もっと足を水に近づけようと、浅く腰かけたその時
私はプールに落ちた。
満水の、高校のプールである。
泳げない私は、水に浮いたり沈んだりしながら、あわてふためく他の子供達を見た。がぼがぼとたくさん水を飲んだ。苦しかった。誰かが長い棒を持って来て「棒さつかまれ!」と叫んでいた。その棒を掴む事さえ出来ない自分の姿を、おそらく身体から離脱した私のたましいが見つめていた。
ユキちゃんが私の母に助けを求めて来たとき、プールという言葉が出なくて「タンポポちゃんが、えーと、えーと、おっきなドブに落ちた」と言うので、母は呆れて姉を向かわせた。
姉はすぐに家に戻り「お母ちゃん、ドブじゃない。ドブじゃないっけ。」と必死に言い、再び姉と母がプールに着いた時には、私は男子学生に助けられた後で、全身むらさき色になってがたがた震えていた。
母は急いでまだ開店前の銭湯に私を連れて行き、熱い湯船に入れた。
長い間、体が真っ赤になってのぼせるまで湯につかり、私の命は助かった。
「この棒さつかまれ」と、皆が叫ぶ。
長い棒が、目の前にあったのは覚えている。私はその棒をうまく掴めずに、ただ浮いたり沈んだりした。誰かが飛び込んで助けてくれたらしいのだが、その誰かは結局、後に母がいくら探してもわからないままだった。
助けてもらったお礼も言わないで、おれはおめさんを風呂屋さ連れでったのや…と、母はずっとその事を後悔していた。
そして、こんな風に死にかけて助かった人は、その後長生きをするものだと、母と祖母が私によく言っていた。