あめゆきをとって

仮題と下書き

公衆電話

私は実家の居間にいて、母からの電話を受けていた。母は携帯を持っていないので、公衆電話からだった。手短に終わらせなければならない。父が近くで無関心を装いながら、耳を攲てる。

汽車の時間は12時だと知っている。決行は明日。母が今どこにいるのかわからないので、これが最終の連絡となるかも知れない。ミスは許されない。

「11時にね」

「11時半に駅で大丈夫だろう」

「じゃあ、それで」

もっと母と話がしたいけれど、父が訝しむ前に電話を切る。

おそろしく勘のいい父だから、電話の向こうが母だと知っているのに「誰だ」と聞く。涼しい顔で「友達」と答える。

田舎の小さな駅舎の前で、明日の11時半、無事に母と会えるだろうか。

どうか雪が降りませんように。発車が遅れたり止まりでもしたらお終いだから。

私は母の家出を手助けするのだ。母が汽車に乗った後のことは、まだ何も決まっていないのに。それでも母を自由にしたかった。自由?そう、自由に。

 

これは私の今朝の夢。

父と母は結局60年以上も連れ添い、父が施設に入所してからの一年間だけ母は自由になった。

もう家出をする理由がなくなった母も、先日入院した。

動悸が苦しくて目が覚めた。悲しくてたまらなかった。心臓を止めるスイッチがあるのなら、今すぐにでも押したいのに。

家を出たいのは私のほうだった。でも、どんなに考えを巡らせても、どうしてだろう、自由になんてなれそうもないのは。