あめゆきをとって

仮題と下書き

表彰式のこと

特定非営利活動法人いわてアートサポートセンターのエッセイ公募に入賞し、賞状と記念日とエッセイ集「いわて震災エッセイ2019」をいただいた。

 


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2月に開催された朗読会では、私の作品『七年目のレストハウスへ』も披露された。

私は諸事情で欠席し、姉と姉のお友達に観覧してもらった。

岩手放送(IBC)大塚アナウンサーの朗読のおかげで、私の作品もグレードアップされたのだろうか。

「身内の欲目かも知れないけれど、タンポポのが一番良かった。感動した。」

と、姉が言った。姉のお友達も誉めてくれたそうだ。

それは間違いなく身内の欲目だが、私も自分の作品の朗読を聞いてみたかった。

朗読会の欠席を後悔していたので、3月の表彰式には姉を伴って出席した。

ハイヒールではもう歩けないと解っていたので、姉の車で靴を履き替えた。

 

 

先日、母からこんな話を聞かされた。

私達兄弟が子供の頃、学校で絵や感想文の賞状を貰うのは、私だけであった。

「いいなあ。私も一度でいいから貰ってみたい」

姉がコッソリと母の所に来て、そう拗ねるものだから、母はいつも困っていたと言う。

私はとても驚いた。

そんな事、姉は私の前ではおくびにも出さなかった。

賞状なんか貰っても、妬んだ同級生には苛められるし、父からは見向きもされない。

たまに同級生の親から誉められても、私の表情はこわばってニコリとも出来ない可愛いげのなさであった。

自分では浮かれた覚えもないし、今更どうしようもない。母の作り話かも知れないが、何だか姉に申し訳なかったと思う。

こんな話を聞いたばかりなので、表彰式に付いてきて欲しいと頼みにくかったが、姉は

「いいよ!行く行く!」

と快諾した。

表彰式のリハーサル中、姉は手で口を塞ぎながら笑いを堪えていた。ハイヒールでよろける私の姿が、余程可笑しかったのだろう。

そうだった。

姉は厳かな場所ほど苦手で、何でも可笑しくなる病気なのだった。

そして私は極度のあがり症なのだが、姉の病気がうつってしまい涙が出るほど一緒に笑った。

姉がいたので緊張せずに済んだ。むしろ緊張感が足りなかったと反省……

表彰式が滞りなく終わると、私達は会場をそっと抜け出した。

ハイヒールからペタンコ靴に履き替えて、盛岡の美味しいラーメンを食べに行った。

 

昔は毎日のように大喧嘩をしていたけれど、姉がいてくれて良かったと思う。