あめゆきをとって

仮題と下書き

評のあやうさ

なぜかしら結婚していく男たち私の次にできた彼女と/東京 広里ふかさ

 

この歌は、2022年3月5日の日経歌壇に掲載されたそうです。

「そうです」というのは、私は日経を読まないので。

ちなみに選者は穂村弘さん。

ほむほむに採ってもらえたなんて、何と羨ましい事でしょう。そんなふうに思う人が多くいそうですね。

私はこの歌をTwitterで知りました。

わあ、凄い。と思いました。

そして「なぜかしら」と疑問から始まるこの歌は、20代前半の私をすうっと引き戻したのです。

それは、この「なぜ」を実際に、私の次にできた彼女と結婚した元カレにぶつけようとした事があるからです。

 

 

私は虚構をほとんど詠みません。

だからつい、他の歌詠みもそうであるような気がしてしまうのですが、虚構しか詠まない人も、半々の人もいるのだと意識する事は必要だと思っています。

そして本当である事に価値を、私は重く置きがちだけれど、本当である事が歌の価値ではないと知ったのも最近です。そう、オール虚構で賞を獲ったあの件からですね。本当のことならば凄いわけではないと、思い知りました。

歌壇がそれを認めるならば私達も、どんどん虚構に挑戦したらいいのです。

 

「なぜかしら結婚してゆく男たち」

 

男たち、と言うのだから、男はふたり以上いるのですね。

私の元カレはたったのひとりで、それなのにあれほどモヤモヤしたのだから、主体は相当なモヤモヤなのだと思います。そして、モヤモヤは歌に昇華した。歌は私にも、他の読者たちにも、そして、ほむほむに見事刺さった。

羨ましい。やったー広里さん。

広里さんと私はTwitterで相互だけれど、お会いした事はたぶんなくて(あったらごめんなさい呆けているので)とにかく私は他の歌詠みにあまり関心がなくて、この方が何歳くらいの方でお綺麗なのか既婚かも知らない。

新聞歌壇の掲載歌をいつもTweetして下さるから、良歌を読めてありがたいのと、とてもよく勉強されている真面目な人という印象です。

歌詠みに関心がないとは言ったものの、この筆名には確かに心惹かれるものがあって、作風にも広里さんっぽさがあってこれまた羨ましい。

 

 

さて、引用するのも穢らわしい、あの論評?ですが・・・

「広里作品は狂歌に分類されるだろう」ってとこからもうね・・・

 

ハア?( ;´Д`)

 

ごめん無理。

 

「なぜ、これが滑稽かと言えば」のとこで

 

アンタが滑稽!!

 

以上。

 

いや、もっといろいろ書こうと思ったんですよ。

歌はどんなふうに読まれたとしても、いやそうじゃなくてこれはこういう意味って言えない世界だから仕方ない、仕方ないけれどもね・・

 

これは酷い。

 

ところで、私の次に付き合った子と結婚した元カレですが。

(あ、この話はもういい?まあ聞いてよw)

私、呼び出したんですよ。人づてに結婚を知ってすぐに。いつも待ち合わせに使っていた喫茶店に。

自分からこっ酷くふっておきながら、別にまだ好きなわけでも何でもなく。ただ、どうしても聞きたかった。

ハタチでデキ婚をした元カレ。

もしも、あの時私と別れていなくて、妊娠したのが私だったなら、あなたは私と結婚した?って聞きたかった。

なのにさ。

元カレは、喫茶店に現れなかった。

携帯も、スマホもない時代。喫茶店の電話番号ならば、ちょっと調べればわかるはずなのに、電話のベルは鳴らなかった。

いくら待っても待っても待っても待っても待っても来ない。

いくら待っても待っても待っても待っても待っても来ない。

バッカヤロー!!

馬鹿は、私ですね。

 

まあ、いま幸せだからいいんですけど!

 

幸せだから、昔を懐かしんでいる、ただそれだけなんですけど!

広里さんの歌も、たぶん、そんな感じ?

何故かしら?と言いつつ別に知ったこっちゃないんだと思う。

だって、今は今だもの。