宗教ネタならいくらでもある。
でも宗教のことを書けば戦争になるから書けないし、戦争が起きずとも私ひとり事もなげに消されてしまうかもしれない。
それでも書いておこうと思う。
皆が宗教の話題をタブーとしている間に、美しい国ニッポンは元総理が殺害されてしまうような国となってしまった。
犯した罪は大罪だけれど、私はまだ若いあの犯人も気の毒でたまらない。
TVの情報だけでは解りようもない深淵が、この国にある。
もっと、もっと宗教の話を。
アナタノ信ジル神は誰デスカ?
私の実家には、仏壇というものがなかった。
神棚は、家を新築した時に拵えてはみたものの、父も母もきちんとした祀り方を知らないようだった。
父と母それぞれの実家はどちらも長く続いた家系だったから、仏間には立派なお仏壇があり、ご先祖様の写真や肖像画などが鴨居に掛けてあった。
私はその仏間がとても嫌いだったが、お盆となれば必ずや「ホドゲサマぁ拝みさ行がねぇばなんねぇ」となり、従姉妹と迎え火に行ったり、お盆料理の膳を親戚と囲んだり、手花火をしたりした。
母方の祖母や伯母はお金持ちであったから、菩提寺に多額のお布施をしていたのだろう。お寺にとって祖母は上得意客なのだと子供の私でも解った。
しかし私の父は、信仰とは遠くかけ離れた人だったから、祖母や伯母と同じくらいのお布施をと母が望んでも、出来るはずもなかった。
伯母は少し、スピリチュアルに傾倒しやすい人だったのかもしれない。
御利益があるとされる高価なグッズを買い、母はそれを見て半信半疑ながらも否定せず、少し羨ましそうだった。
私が上京したのは1980年代、
就職先でも、子育て中にも、この世の中には多くの知らない宗教があって、誰彼が何かしらに入信している事を知る度に心底驚いた。
都会で出会った人は、最初は誰もが良い人だった。そしてあっという間に距離を詰めてきて、誘われて出かけてみれば、怪しげな宗教団体のセミナーだった。
怖くなって距離を置けば、別の人が近づいて来て
「あの人と付き合ってはだめ。あの人はね、○○教なんだから。勧誘しつこいって有名だよ」
と言う。
うわぁそうなんだ、危ないところだったと思う。だが、教えてくれた人に誘われてランチに行けば、今度は△△教のセミナーだった‥
こんな事ばかりが続き、私はすっかり人間不信になった。
日本国憲法 第20条、信教の自由。
誰がどの神を信じていても構わない。誰も私を巻き込むな。
どこの宗教がいいとか悪いとかを言うつもりはない。
信じる神のいる人は皆、多幸感に溢れている(ように見える)。
けれども、そうではない人も多数いる。
勧誘のノルマがあるのか、お布施がきついのか何なのか、ノロマな獲物を狙うハイエナのような目で私を見ている。
20年間、親友と信じていた人は、天真爛漫で純粋無垢な人だった。マルチ商法の宗教にはまってしまうまでは。
宗教に義両親がのめり込んだせいで、夫婦仲が悪くなり離婚した人。
息子が癌になったのは、嫁の信心が足りないせいだと離縁させられた人。
人を幸せにするのが宗教ではなかったのか。信仰とは何なのか。
私のきょうだい達は、やはり育った環境のせいかそれほど信仰心が強くない。
私の夫も、信仰心があるとは言えない人だ。
春に夫の父が亡くなり、実家を解体する事になったので、位牌を我が家に持ってきた。
そして、小さなお仏壇をAmazonで買った。
お仏壇くらい仏具屋でちゃんと見て買えばいいのに、何でもかんでもAmazonでポチる夫なのだ。
そしてお仏壇を買ったまではいいが、夫が手を合わせているのを一度も見た事がない。
義父の、少し若い頃の顔が険しくて、何故こんな写真を遺影に選んだのだろうと思う。
いつも視線を感じて怖いので、裏側を向けて置いたりもする。
こんな私達だから、バチがあたったのだろうか。
今、我が家は最悪の不幸に見舞われていて、私は買ったばかりのおりんを叩き鳴らす。
神様なんか、いない。
神様なんか、信じない。
ずっと、ずっと、不幸せだった。
やっと、やっと、平穏に暮らせるのかと思ったのに。
助けて。助けて。お願い。誰か助けて。
助けてお義父さん。
助けてお義母さん。
神様を信じない私が、幼い子供のように泣きじゃくる。
お母さんお母さんお母さんお母さん助けて。助けてよ‥
神様なんか、いない。