あめゆきをとって

仮題と下書き

どうしてあんなに泣いたのだろう

どうしてあんなに 泣いたのだろう

 

高校を卒業し、ほとんどの同級生達は社会人になった。

3年間ぼんやりと高校生活を送っていた私も、就職するより仕方なく

張り出されている求人票の中で一番給料が良い、という理由だけで

東京の洋品店に就職を決めた。

旅立ちの日。田舎はまだ寒く、桜も咲かない。

店長が地元の駅まで迎えに来てくれて、私は上京した。

見送りの母と伯母が、私が笑顔なので

「寂しくないのかい?」と驚いていた。

東京には何の憧れもない。けれども田舎が大嫌いだった。寂しいわけがない。

 

それなのに盛岡行きの列車が走り出すと、私の涙腺は決壊した。

声を押し殺して、何とか泣きやもうと思うのだけれど

涙が後から後から溢れた。

途中の駅でもう一人、同じ店に就職した男子が乗車して来た。

店長が私達に気を遣い、いろいろと話しかけてくれるのだが、私は受け答えもできない。

同僚となる男子も戸惑っていた。

東北新幹線が、まだなかった頃の事だ。

盛岡から特急列車「はつかり」に乗り換えた。

盛岡まで3時間、盛岡から上野までは6時間位かかっただろうか?

いくらなんでも泣き止みそうなものだが

怖ろしく遠い所に行くのだという思いが

目も喉もおかしくしてしまい、ヒック、ヒックが止まらない。

盛岡より南に行くのは初めてで、車窓は見た事もない景色が続いた。

店長が、私達を食堂車に連れて行ってくれた。

メニューを渡され、何が良いか聞かれても

とても食べられそうになく、黙っていると

店長は、ヒレカツセットを3人分頼んだ。

時折大きく揺れる以外、そこはまるで高級レストランにいるような雰囲気だった。

真っ白いテーブルクロスの上に、ヒレカツのお皿とご飯のお皿が整然と並ぶ。

そのカツを見て母を思い出し、私はまた大泣きだった。

2人は私のせいで黙々と食べるしかない。

男の人だから、食べるのも早い。

当時で1,300円位だったと思う。そんな高いものを残しては申し訳ない。

私もカツを食べた。

それが本当に本当に美味しかった。

涙と鼻水と一緒でなければ、もっと美味しいのに…

 

全部食べられなかったあのヒレカツ

何十年経った今も忘れられない。

そして、この季節になると

あの時どうしてあんなに泣いたのだろうと、不思議に思うのだ。