あめゆきをとって

仮題と下書き

カラオケに行った

2019/12/06

九月に帰省した時、姉と弟と私の三人でカラオケをした。

それは私達にとって、早く忘れ去りたい黒歴史であり、ずっとしまっておきたい宝石のような一夜でもある。とにかく最高にエモーショナルな出来事であったから、忘れないうちに書いておく。

 

 

私はカラオケが大嫌いだった。今もあまり好きではない。

昔、お金に困るとスナックでアルバイトをした。どこの店にもカラオケは必ず入っていたから、デュエットしたり、客からのリクエスト曲を歌ったりした。それはお金のため。仕事だから歌うだけだった。

 

結婚して最初のお正月、夫の実家に帰省した。

居間には真新しい家庭用カラオケセットが鎮座していた。カセットデッキと大量のカセットテープが専用箱に収められている。新聞広告か何かで見た覚えがあるが、こんなものを買う家があるのだろうかと思っていたら、あった。

義父と義母が私に「歌え歌え」と迫る。

仕方ないので、年寄りには演歌がよかろうと思い『津軽海峡冬景色』のテープをかけた。イントロが流れ始めると、二人の表情が変化したのを私は見逃さなかった。歌い終えると「上手だねえ」と誉めてくれたが、表情を変えた理由は後になって解った。『津軽海峡冬景色』は、義母の十八番なのだった。

(面倒くさい。これだからカラオケは……)

義母は別の演歌を歌った。義母の歌は上手だった。義父は酷い音痴で、それは夫に遺伝した。

夫の実家でカラオケをしたのは、この一度きりである。次の正月に私達は帰省せず、翌月に義母が急逝した。

 

そういえば……

思い出した。姉の嫁ぎ先の家にも、カラオケセットはあったのだ。

義兄となった人は公務員だが、農家の三男坊だった。結婚式場での披露宴の後、本家に義兄の親族を集めての大宴会が開かれた。

その余興で、姉が歌う羽目になった。

うわぁ可哀想に。私ならば頑なに断るだろう。しかし、姉は歌が得意だった。学生時代から社会人になっても合唱を続け、ソプラノのソロパートを任されるほど上手かった。

姉は『みちづれ』を少し緊張しながら歌った。田舎酔っぱらい共は聞き惚れて、拍手喝采した。

母は、ほっと胸を撫で下ろしていた。

酒を飲み過ぎて挙動がおかしくなった父が、何故かおいおいと泣きだして、私は興醒めした。

 

長い長い間、カラオケを拒絶していた。仕方なく付き合っても歌わずに、聴くだけにした。

どうしてお金を払って別段上手くもない素人の歌を聴いたり、ひと様に聴かせたりしなければならないのかと、常々思っていた。今までプロ並みに上手いと思ったのは、二人くらいしかいない。大体、人の歌など誰も聞いてやしない。いや、聞いて欲しくもないけれど。

それが昨年、娘とカラオケに行って以来、ひとカラに嵌った。お腹から思い切り発声するのはストレス解消になった。仕事もしていない私に何のストレスがあるのか自分にも解らないが、確かに気分爽快だった。

でも飽きっぽい私は、ひとカラもやめてしまった。自宅でYouTubeに合わせて歌えば十分で、お金もかからない。集合住宅なので、大声は張れないけれど。

 

 

前置きが長くなってしまった。

私達は決して仲良しきょうだいではなかった。

私と姉は2歳、弟は5歳離れている。姉は寮のある高校に入り、卒業して家に戻ってから間もなく結婚して家を出た。

私が高校を卒業し上京する頃、弟は絶賛反抗期中だった。6年生あたりから弟は、家族の誰とも口をきかなくなっていた。

その弟が上京し、隣の区に住んでいてもほとんど交流をしなかった。内向的な弟が大学生活をエンジョイしているとは到底思えなかったが、私にはどうする事も出来ない。弟は卒業と同時に地元へ帰って就職した。

40代後半になってから、弟と再会した。

弟は中年太りの私の姿を見て、腹を抱えて大笑いした。無愛想な弟があんなに笑うなんてと、母が感心するほどであった。

弟とメアド交換をしたものの、特にメールする用事もなくて放置していたのだが、再会から3ヶ月後に東北大震災が起こり、安否確認や情報収集にメアドが役に立った。

以来、帰省する度に弟の車を出してもらい、一緒にご飯を食べた。それを姉が妬んで、自分も弟とメールやLINEがしたいと言うので一応は伝えたが、弟は乗り気でなさそうだった。圧の強い姉二人からあれやこれやと、これ以上要求されるのはご免なのだろう。

「何かあったら、私が弟に連絡してあげるから」と言うと、姉は

「近いうちに葬祭など話し合う事になるだろうから、三人で繋がっていた方がいいと思うの」

と言った。

 

私は今回の帰省スケジュールを弟に伝えた。

田舎では車がないと本当に不便で、タクシー代がかさむ。父のいる老人ホームへ行くのに往復三千円。私だけなら自転車でどこにでも行くが、母は近所の買い物でさえ、もう歩けない。

弟は運転手を引き受けてくれたものの、当日になって急な仕事が入ってしまった。

「悪いがJRかバスで帰って。夕方までに終わらせるから、寿司屋を予約しておいて」とLINEが来た。

「それなら私が車を出してあげる」

と、姉は張り切って言うのだが、私は予定を変更してJRで帰り、駅まで迎えに来てくれた友人の車で海を見に行った。

友人とお茶をしてから実家に帰ると、程なく姉も実家にやって来た。そして、いつもなら実家には泊まらず日帰りで自宅へ戻るのに、今夜は皆でお酒を飲みたいから泊まると言う。

スポンサーの弟は大変だが、賑やかな方が母も嬉しいだろう。

四人分の席を予約し、タクシーを呼んで寿司屋に向かおうとすると、急に母が「私は行かない」と言い出した。

「どうして?行こうよ。せっかく集まったのに。弟がご馳走してくれるんだよ?」と、いくら言っても頑として聞かない。数日前に体調を崩して食欲がなくなった母に、少しでも何か食べさせたいのに。

母が言わなくても私達には解っていた。母は、紙オムツをして外に出かけるのが嫌なのだ。

母を家に残して、姉と私はタクシーに乗った。そして車内で弟にLINEをした。

「母がひとりで家にいるから、説得して連れて来るように」と。弟が誘えば素直に従う母なのだ。

思惑通りに、弟は母を連れて来た。

私達は美味しいものを食べて、私以外はお酒もたくさん飲んだ。姉が一番よく笑いよく喋っていた。

「ねえ、私ともLINE交換してよ」

「断る」

「いいじゃない、交換しようよ!」

酒の力を借りて、弟との距離を一気に詰めていく姉。弟とはあまり話した事がないから、どう接していいか解らないと、いつも言っていたのに。

たらふく食べて飲んで、そろそろお開きという頃、突然姉が言った。

「もう一軒行かない?そうだ、カラオケに行こうよ!」

「えー?嫌よカラオケなんか」

「だって娘ちゃんとよく行くんでしょう?時々ひとカラもするって。それ聞いて、いいなぁ私も行きたいなぁって、ずっと思ってたの」

「そのマイブームはもう終わりました。何が悲しくてこのきょうだいで、カラオケなんかしなきゃいけないのよ。ねえ?」

私は弟に同意を求めた。すると

「俺は別にいいよ」

私は驚いた。弟は断固拒否すると思っていたのだ。

「カラオケに行ったりするの?」

「行く。何を隠そうこの俺は、宴会部長だ。どちらかと言えば、握ったマイクは離さない方だ」

まさか、信じられない。あの弟が……

私と姉が呆然としているうちに、弟はさっさと寿司屋の会計を済ませていた。

カラオケボックスがどこにあるか知ってる?」

「知らない。タクシーで聞けばいいさ」

目的地に向かう車内で母がまた、自分は行かないと言い出した。

私は母にも来て欲しかったが、もう遅いから休ませた方がいいと姉が言う。確かにそれが正しいのだろう。私達はカラオケボックスの前でタクシーを降り、母を家まで送り届けてもらった。

東京にあるカラオケ店のどれでもない、ローカルな店だったが、部屋に入れば見慣れた空間であった。

姉が興奮気味に辺りを見回していた。ドリンクはセルフサービスの飲み放題で、ビールが発泡酒ではなく本物のビールだと知り、はしゃいでいる。寿司屋でもかなり飲んで来たのに、まだ飲むのかと呆れたが、飲み放題ならば飲まなきゃ損だろう。

弟はさっそく端末機を操作していた。姉は言い出しっぺのくせに「どうしよう、何を歌おうかな」等と狼狽えている。

「採点はどうする?」と、私が弟に聞く。

「いらない」

「年代しばりでいこう。1970年から80年代の曲で」

「マジか……」

弾けるように曲が流れ出す。弟が入れた『勝手にしやがれ』のイントロだった。

「弟よ、正気か……」

「うっそー!信じられなーい!」

姉が悲鳴のような声をあげた。

弟が歌謡曲を歌っている。それどころか、ジュリーになりきっている。クラクラと目眩がしたが気を取り直し、私も曲を入れた。

「歌うの?」

「当たり前でしょ。もう破れかぶれよ」

「何を歌うの?ああ私どうしよう。困ったな、どの曲を歌おうか……」

「何だって好きなの歌えばいいよ」

チャーラッチャチャーンとイントロが流れて、姉と弟が「おおっ」と目を見張った。

私が入れたのは『聖母たちのララバイ』だ。すっくと立ち上がり本気モードで歌い始めると「キャー、嘘でしょ妹、信じられなーい」と姉が騒ぐ。

それから私達は交代で歌い続けた。姉は山口百恵松田聖子を歌うと思っていたが、夏川りみ中島みゆきを歌った。私は松任谷由実薬師丸ひろ子。姉と弟はビールを何杯もあけ、私は何も飲まなかった。姉が黄色い声をあげては変な合いの手を入れるので、弟は面食らっていた。『パールピアス』を歌えば「うあー」と弟が呻く。元カノが好きだった曲だと言う。やめてくれそのカミングアウトいらない。

私達のぎこちなさは、一緒に暮らした年月が少ないからではない。日常の出来事を話す事さえ、私達はしてこなかった。居間で歌番組やバラエティ番組を一切見なかった。私達が見たくても父はテレビをブツリと消した。

私はひとりこっそりと、二階にある小さなテレビで「ザ・ベストテン』を見た。見なければ、次の日学校で話の輪に入れないからだ。当時の私がジュリーファンだったのを、弟が知る由もない。

イルカ、テレサ・テン松山千春、チューリップ、長渕剛チャゲアスかぐや姫、誰が何を歌っても知らない曲のない50代が三人で、延々と歌い続けた。

失ったものを取り戻すのではなく、無かった時を今、重ねようとしているのだろうか。私は少し悲しい気持ちになりながら、歌い騒いだ。地獄絵図ですか。違う、これは喜劇オペラ。どうしてだろう。涙が出そうになる。黙っていたら泣いてしまう。笑え。歌おう。最高じゃないか。これこそが喜劇だ。

誰が何をどれだけ歌ったのか、もう忘れてしまった。最後に三人でアリスの『冬の稲妻』を熱唱したのは覚えている。阿呆かと。そして、これがラスト曲に相応しいかという疑問がわいて、またもや延長しそうになるのを私が阻止した。明日も弟は仕事がある。

そして姉と弟は実家に、私は予約しておいたビジネスホテルに泊まり、翌朝実家に行くと弟は不機嫌そうにして目も合わせない。合わす顔がないというやつだろうか。きっと昨夜の乱痴気騒ぎを後悔しているのだろう。無理もない。

そんな事を考えていると、姉が少し照れくさそうに

「昨日は騒ぎ過ぎてごめんねー。でも楽しかったよね」と、脳天気である。

「母も来れば良かったのにねえ」

「そうなんだけど、昨夜は帰して正解。ここだけの話、母、粗相してたみたい」

「マジかー。てかさ弟が超不機嫌なんだけど」

「ああ、あれは二日酔いね。頭が痛いって」

「飲み過ぎだよね。姉は平気なのか?」

「全然平気。それでね、弟とLINE交換したんだー」

 

 

 

おぞましい。本当にどうかしていた。夢であって欲しい。無理に忘れようとしなくても既に諸々忘れてしまった。あのような夜は、二度とないと思う。あってはならないのに、姉はまた行こうと言う。あれ以来、弟とはまた音信不通になった。

 

これから先の私達は、実家問題の諍いがきっと多くなる。人の終焉を見届けるだけの未来が、すぐそこまで来ている。

それでも、どんな時でもあのカラオケの夜を思い出せばいい。きっと可笑しくて可笑しくてたまらないだろう。