あめゆきをとって

仮題と下書き

木香茨

赤い文字にふと立ち止まり張り紙を読むと、近日中にこの家が解体されると書いてあった。
まさか、木は切らないよね?
次に通った時には家も木も、跡形もなかった。
木を切るなんて。あんな立派に育ったモッコウバラを、切ってしまうなんて。
どんな人が住んでいたかも知らない。
なぜ家を手離したか、知る由もない。
もしかすると、ずっと空き家だったのかも知れない。
モッコウバラを植えている家は近くに何軒もあるが、この家の木が一番大きくて見事な花付きだった。
桜が散って八重桜も終わる頃、モッコウバラは一斉に開花した。ガレージの屋根を覆うように、溢れんばかりに無数の花を咲かせた。生命力に満ちた、淡い黄色のバラ。
この花を眺めるのを毎年楽しみにしていたのに。
仕方ない。こんな事はもう慣れている。私の木でもないのに、悲しいだなんて滑稽だ。
そう自分に言い聞かせても、更地になったその場所を通る度に寂しさが募った。春になればもっと寂しさが増すだろう。それならいっその事、春なんか来なくていい。

昨晩、夫と更地の側を歩いた。
別に会話しなくても構わないのに、つい話題にしてしまった。
夫は「駐車場にでもするのだろう」と言い、更地のままだと税金がどうのと続けたが、まるで知らない国の言葉を聞いているような錯覚に陥った。
モッコウバラを知らない夫に、私の喪失感など理解出来るはずもない。ただ、馬鹿げていると思うだけだろう。

私が欲しいものは、何も手に入らない。

寒くて長い冬は、まだ始まったばかり。

 

 

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